元阪神で台湾プロ野球・中信兄弟の林威助2軍監督(39)が就任1年目の昨季を振り返った。阪神在籍11年の経験を生かし、初体験の監督業でシーズン優勝に導いた。かつてのスラッガーが重点的に改革するのは意外にも投手力だ。20年には東京五輪があり、侍ジャパンの敵を育てる立場にある。母国の野球発展にかける思いをWeb版「旬なハナシ!」後編をお届けする。【取材・構成=酒井俊作】

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嵐の船出だった。台湾・中信兄弟の林威助2軍監督(39)の初陣。昨年3月27日、勇んで臨んだ富邦戦は8対21の大敗を喫した。さらに開幕5連敗。「プロって1試合勝つのが、こんなにしんどいのか。正直、最下位も覚悟した」。4月終了で4勝11敗。青年監督はいきなり試練を味わった。

勝負の厳しさに直面しつつ、林は開幕当初、選手に伝えていたことがあった。「君たち、もし体力があるんだったら、この夏は強くなるよ」。若手に猛練習を課した。キャンプでの早朝特守、公式戦後の居残り特打。シーズンを通して地道な土台作りに明け暮れた。

それでも、アメとムチを使い分ける。2軍本拠地がある台湾南部・屏東は熱帯だ。球場の電光掲示板はなぜか気温まで表示し、蒸し暑さに追い打ちをかける。日本流で改革する林は、柔軟に考える。「完全に日本式ではない。暑いから台湾式との中間で、いいバランスを取ってやらせたい」。気候に応じて走り込みを減らすなどオーバーワークにならないよう配慮。それでも改善点は細部に及んだ。

「全部、17年と180度違う。普段の生活からね。まあ、選手は嫌やろうな」

そう笑うのは、自らも選手寮に住み込むからだ。朝は早い。午前6時過ぎから練習にやって来る選手の顔を見る。「疲れてるとか、コイツは元気やなとか」。細かいシグナルを感じ取り、選手との接し方を工夫する。日常生活では、20歳少々の若者たちと寝食をともにし、心構えも説いた。「生活するなかで3つのテーマを持ってほしい。礼儀、態度、尊重」。日々の暮らしはすべての源だ。全力疾走の徹底、野球道具を大事に扱う-。月初めのミーティングでは、必ず口にしたフレーズがある。

「もう時間がないよ」

もう5月、もう6月、もう7月…。林は説明する。「1年間、ずっと危機感を持ってほしいと思って。1年は12カ月だけど、野球は10カ月もない。プロに入って『ラッキー』という気持ちでやっていたら、野球生涯はすぐに終わる」。阪神で新人だった03年は、左膝負傷の治療だけで棒に振った。焦燥感から始まったプロ人生が根底にあるのだ。

夏になった。暑さが際立つとともに、ライバル3球団は精彩を欠く。対照的に中信兄弟の若きナインは躍動する。8月から9月にかけて11連勝。台湾ではあまり用いない送りバントも浸透し、ヒットエンドランなどを駆使。投手も踏ん張った。驚異のV字回復で公式戦62試合は35勝25敗2分けの2位。台湾シリーズに駒を進めると、ラミーゴを下して頂点に立った。「最初はしんどい部分があったけど、選手が成長してくれたことは、自分でも感動している」と振り返った。

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ある日、心を奪われる映像に出合った。YouTubeを見ているとスマートフォンに星野仙一が映る。監督として阪神を優勝に導いた03年の密着ドキュメンタリーだった。グラウンドでは弱みを見せない。試合後の監督室で、初めて本音をさらけ出していた。「しんどいな…」。薬も飲んでいた。将とは。リーダーとは。男が生きる姿を見た。

闘将との接点はあまりない。プロ入り時、左膝をリハビリする身で顔を合わせれば「おお、元気か?」と声を掛けられるくらいだった。それでも、強く印象に残った。理想のリーダーを問われれば、しばし考えて言う。「俺、入団1年目は星野さん。熱くて、心遣いもできて。映像を見ててもね、体がしんどくても、見せない。そういう姿もスゴイなと」。日本で野球を学び、魂を育んだ。今季は指揮官2年目。挑戦は続く。(敬称略)【酒井俊作】