パンターニを惜しむ
<フェアプレーに怒った自転車の英雄>
それは2000年7月、ツール・ド・フランスでの出来事だった。
欧州最大の自転車レースで、世界最大規模のスポーツ・イベントとして知られるツール(・ド・フランス)は、その年も異様な熱気を帯びていた。
ガンから奇跡的に回復して生還した男、米国のランス・アームストロングが、至難とも言われる2連勝を狙って好調なレースを展開していた。ツールのようなレースでは、ルマン24時間レースや、米国のスーパーボウルとよく似て、スタート前にだれが主役か−−勝者とまでは言わないまでも−−はだいたい確定していることが多い。その年は、むろんアームストロングで、焦点はいつ、どのよな形で相互トップに躍り出るかという「勝ち方」に絞られつつあった。
その定められた英雄に対し、「お前などはまだ青二才だ、のぼせるな」と、意地を張った男がいた。それが、イタリアの異才、山岳スペシャリストのマルコ・パンターニだった。
その時の事件は、本欄でも報じている。
−−その男の意地と、彼なりの哲学こそ、今年(2000年大会、以下同)のツール伝説で最も熱い物語になった。
28歳のアームストロングに対して、イタリアのベテラン、マルコ・パンターニは31歳。頭をツルツルに剃り上げ、特に山登り区間(山岳ステージ)でその異様な強さを発揮する自転車乗りとして、有名だ。
パンターニは98年のツールを制した王者だが、その後、ドーピング・チェックで陽性反応が出た。彼の苦悩の日々の間に飛び出し、99年の覇権を奪ったのが、アームストロングだった。
今年のツール第12区間、きつい勾配の山岳区間を、アームストロングらがリードしていた。ゴールまであとわずかとなったとき、後方から恐ろしい速度でスパートしてきたのがパンターニだった。今年のパンターニは序盤でレースをしくじり、総合優勝は望めない位置にいたが、得意の山登りになって、ついに意地が炸裂したのだろうか。とうてい不可能と思えるペースで先頭集団を追い、ついにゴール直前、それに追いついたのだ。レース・ファンならだれもが唖然とするような強烈な追い上げ、まさにパンターニにしかできない挑戦だった。
そのとき、アームストロングが先頭を走っていたが、強敵のあまりにもあっぱれな追い上げに感じるものがあったのだろう、自分が総合優勝に十分なマージンをすでに築き上げていたこともあって、ゴール・ライン手前ですっと身をかわした。パンターニに(この区間の)勝利を譲ったのである。
そしてパンターニの怒りが炸裂した。記者会見で、「真剣勝負だからこそ命を賭けて私は逆転を狙ったのだ。アームストロングに勝ちを譲られるとは情けない。私は侮辱された。彼は総合優勝ばかり意識して、レースに対して不遜なのではないか」−−。(00年7月22日本コラムより)
アームストロングは傷つき、「せっかく彼を称えようとしたのに」と反論したが、パンターニの荒い息は容易に収まらなかった。フェアプレーを蹴り飛ばし、友情を送り返した。そのままアームストロングと笑顔で肩を組めば、すてきな「スポーツの絵本」になるところだったが、パンターニは負けることが大嫌いで、負けを認めることはもっと嫌いな男だった。
この話には続きがある。数日後の第15ステージで、パンターニはまた後方からの逆襲を試みた。この時は文句なし、ゴールよりはるか手前でアームストロングを含む先頭集団を一気に抜き去り、単独ゴールを決めた。
「これがレースだ。今日は、勝利の勝ちを半減させるような邪魔を受けずにすんだ」と笑い、そこがいかにもパンターニなのだが(総合優勝の可能性のなくなった)ツールを、翌日は去っていった。体調不良を理由に、「オレはもう満足した、シドニー五輪に備える時だ。イタリアに帰る」と、棄権したのだった。
そのようなタイプの英雄は、もしかしたら二度と出てこないかもしれない。あまりにも正直で、一本気で、もっとも苦しいと言われる山岳コースの鬼になり、勝利のためにはすべてを投げ出してもいいのだというスタイルを貫き通した男。彼の生き方は上手ではなかったが、どんな男にも、「もし命が2つあるなら、1つはそういう人生に賭けてみたい」と思わせるだけの魅力を放っていた。勝負師だった。
残念ながら、彼の話は過去形でしか語れない。
もっと早く触れようと思っていたのだが、あまりに残念で、今になってしまった。特異な英雄マルコ・パンターニが死亡したのは今年04年、さる2月14日のことだった。自室で死んでいたそうだ。
70年1月13日、チェゼーナ生まれ。98年はツールとジロ・デ・イタリアの両方で優勝する離れ業を演じたが、その後薬物違反を繰り返し、過多のドラッグが原因でなくなったと、知らせを受けた。けれど、伝説は永く語り継がれるだろう。冥福を祈る。パンターニは、ようやく平穏な時を迎えたのだ。
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後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、57歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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