日本パラ陸上界のエースが夏冬の“二刀流”に挑む。リオデジャネイロ・パラリンピック陸上男子走り幅跳び銀メダルの山本篤(34=スズキ浜松AC)が、スノーボードクロス(大腿切断などLL1)で18年平昌パラリンピックを目指している。19日に行われたスノーボードの全国障がい者選手権同種目決勝でいきなり初優勝。平昌への第1歩を踏み出した。

●東京まで夏冬3大会連続メダル挑戦

 リオ大会の陸上で銀、銅2つのメダルを獲得した山本が、もう1つの挑戦に乗り出した。来年の平昌大会スノーボードクロスに出場する意志を固めた。「可能性はあると思う。1つずつクリアして平昌を目指したい。目指すならメダルを狙う」と言葉に力を込めた。

 全くの素人ではない。スノーボードを始めたのは中学1年。高校2年の時、バイク事故で左脚を切断したが、手術の半年後には再開した。一時期は年間約40日、山にこもって滑るほど熱中した。ここ2年はけがのリスクを考慮し、リオ大会も控えていたため、陸上に専念していた。今年1月、久々に雪山を訪れ、挑戦を決意した。

 平昌へのスタートとして選んだのが18日から2日間、長野・白馬乗鞍温泉スキー場で行われた全国障がい者選手権。スノーボードクロス決勝では日本代表の小栗が転倒した隙に抜き去り優勝した。「アドレナリンが出まくった。陸上ではないクラッシュが醍醐味(だいごみ)。持ってるなと思いました」。予選は何度も転倒。予選1位の小栗とは18秒もの差をつけられたが、決勝では下馬評を覆した。

 スノーボードクロスは14年ソチ大会で初採用された。平昌大会では初めて障害に応じ、クラス分けされる。大腿(だいたい)義足のクラスに属する山本にとって、メダル獲得の可能性は広がった。今季は国際大会出場ライセンスを所持していないが、この大会の結果を受け、来季以降の日本代表入りの可能性もある。W杯など国際大会に出場し、一定の成績を残せば、平昌が見えてくる。

 7月には陸上の世界選手権(ロンドン)を控える。「メインは陸上」としつつも、いいかげんな気持ちでスノーボードに取り組むつもりはない。「陸上とボードで共通する部分は、ドキドキ、ワクワクするところ。これが楽しくてしょうがない。時間はないけど、経験値を上げたい」。平昌大会のメダル、20年東京大会の金メダル獲得の夢を追い続け、これからも山本は走って、跳んで、滑る。【峯岸佑樹】

 ◆山本篤(やまもと・あつし)1982年(昭57)4月19日、静岡・掛川市生まれ。掛川西高-大体大-大体大大学院。高校2年の時のバイク事故で左太ももから切断。高校卒業後に陸上を始める。パラリンピックは08年北京から3大会連続出場。16年リオ大会走り幅跳び銀、400メートルリレー銅メダル。16年2月、幸子さんと結婚。趣味はゴルフ。167センチ、59キロ。

 ◆スノーボードクロス スノーボード競技の1つで、旗門、カーブ、ジャンプ台などが設けられたコースを滑走して競う。予選は1人ずつコースを3本滑り、タイムで争う。決勝は2人1組の選手が同時にスタートして順位を決める。接触や転倒などのアクシデントで順位の入れ替わりが起こり、駆け引きの技術も問われる。14年ソチ大会からパラリンピック正式種目に採用された。