プレーバック日刊スポーツ! 過去の9月24日付紙面を振り返ります。2000年の1面(東京版)では、シドニー五輪男子サッカー準々決勝で日本が敗れたことを報じました。

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 【アデレード23日】日本が米国に敗れ、メキシコ五輪以来、32年ぶりのメダル獲得を逃した。前半30分にFW柳沢敦(23=鹿島)が先制点、1-1で迎えた後半27分にはFW高原直泰(21=磐田)のゴールで突き放すも、後半44分に追いつかれた。計30分の延長戦でも2-2のスコアは動かず、PK戦に突入。4人目のキッカーを務めたMF中田英寿(23=ローマ)のPKが左ポストを直撃し失敗、死闘の末に準決勝進出が消えた。

 中田英が大きくのけぞった。頭の後ろで両手を組んだまま一瞬だけ動けなくなった。ペナルティーエリアの外まで出る約5メートルの長い距離をゆっくりと走り、右足をコンパクトに振り抜いたが、低い弾道のボールはネットを揺らさない。左のポストを直撃し、叫び声を上げる米国GKフリーデルの前を力なく転がった。32年ぶりのメダル獲得へ「史上最強の五輪代表」の挑戦は、エースのPK失敗で幕を閉じた。

 前半30分に先制した。1次リーグD組の3試合で先発しながら無得点に終わり、決勝トーナメント進出にも、険しい表情が消えなかった柳沢が、五輪で初めて決める最高の滑り出しだった。後半23分にはCKから失点し同点とされたが、同27分には「エリート」に続き、五輪期間中カミソリを使用せず、あごヒゲともみ上げがつながり始めた「野性児」高原が、大会3得点目を決めて突き放した。

 後半31分にはGK楢崎が中沢と激突して激しく流血した。脳振とうを起こし、左目を青黒く大きくはらしながらプレーを続けた守護神の気迫は、日本を勇気づけた。だが、一瞬のミスから失点する。後半44分にロングボール攻撃への対処を誤り、激しくチェックに出た酒井が反則を犯す。あと少しで準決勝。終了直前に試合は振り出しに戻った。死闘は120分間では終わらず、運命のPK戦が待っていた。

 トルシエ監督は言った。「過去にはプラティニも、ジーコもPKを外した。だれかが外さないとPK戦は終わらない。それがPK戦のつらい現実だ」。昨年7月のアジア1次予選で小野(浦和)が重傷を負い、アジア最終予選直前に中田英が合流して出場権を得た。トルシエ監督は「スターはいらない」と表向きには話していたが、五輪代表は間違いなく中田英のチームだった。オーバーエージの三浦は言った。「PK戦は得てして、試合で活躍した選手が外すものだから」。エースが外して負けたのならやむを得ない。

 32年ぶりの準決勝とメダル獲得は逃したが、南アフリカとスロバキアを連続して撃破した。1次リーグ最終戦では本気になったブラジルを苦しめた。昨年のワールドユース選手権(ナイジェリア)の準優勝に続き、若い世代が世界と互角に戦った事実は、メキシコ五輪の銅メダルに勝るとも劣らない。今回のシドニー五輪組の快進撃は、日本サッカー史に歴史の1ページとして間違いなく残る。

 高原は言った。「結果を受け止めて次に生かすことができればいい」。中田英は苦笑いを浮かべてバスへ消えた。出場機会を得られなかった本山は笑顔だった。落胆している者はいない。敗戦の瞬間から、2002年W杯へ道が始まったのだから。

※記録と表記は当時のもの