20年東京五輪世代の日本が悲願の初優勝を遂げた。サウジアラビアとの決勝は延長を終えて0-0で迎えたPK戦を5-3で制し、日本の世代別代表がアジアで唯一、手にしていなかったタイトルを手にした。44年ぶりの全6試合完封で花を添え、最優秀選手にはMF堂安律(どうあん・りつ、18=G大阪)が輝いた。既に5大会ぶりの出場権を獲得していたU-20W杯(来年5月20日~6月11日、韓国)にアジア王者として挑む。

 決勝でも堂安の肝は据わっていた。PK戦の先攻2人目。真ん中の最上段に利き足の左で度胸よく蹴り込み、右拳を振り下ろした。5人目の小川が成功すると、GK小島の元へ一直線。堂安も歓喜の渦に吸い込まれた。中田英、小野でも届かなかった頂点。表彰式ではアラビア語でMVP受賞を知らされ「まさか自分が呼ばれるとは。チームのおかげ」と感謝した。坂井主将が優勝トロフィーを掲げる動きに合わせ、紙吹雪の中、両腕を突き上げた。

 堂安は準々決勝タジキスタン戦の1得点にとどまったが、前線から組織的に守る覚悟を決めた。44年ぶりの全6試合完封Vに貢献し、決勝では5戦16得点のサウジアラビアを封じた。大会前、選手だけで行ったミーティングでは真っ先に発言した。「俺は2年前、U-17W杯を逃した。今度こそ世界で戦いたい。チームの勝利だけを考えて戦う」。東京五輪で中核を担う世代だが、14年はU-16アジア選手権で8強止まり。期待薄だっただけに「東京五輪で期待してもらうため結果を残さないといけない」との決意があった。

 大会4カ月前にはオランダ王者PSVから獲得オファーが届いたが、G大阪で試合に出るため残留した。まだ高校3年。J1出場こそ3試合25分間だが、この年代の出場機会確保のため今季からJ3に参戦する、G大阪U-23では19戦9発と成長した。ほかの仲間もサテライトリーグや月2回の合宿で一体感を高め、決戦の地に乗り込んでいた。

 通算7度目の決勝で初優勝を遂げたが、準決勝ベトナム戦で先発11人中10人を温存した割には、サウジアラビアに押され、4度の逸機に救われた。まだ発展途上。内山監督は「アジアだけでなく、いろんなスタイルの国と真剣勝負して謙虚に学ばなければ」。7カ月後のU-20W杯、そして東京五輪まで進化を続けていく。

 ◆堂安律(どうあん・りつ)1998年(平10)6月16日、兵庫・尼崎市生まれ。小学時代は西宮SSに所属。中1からG大阪ジュニアユース入り。昨年5月27日のACL・FCソウル戦で、FW宇佐美(アウクスブルク)を上回る16歳11カ月11日で公式戦デビュー。今季は高3で飛び級のトップ昇格を果たした。172センチ、70キロ。