<国際親善試合キリン杯:日本0-0パラグアイ>◇27日◇埼玉ス

 俊輔が、日本代表に帰ってきた。岡田ジャパンに「融合」した。MF中村俊輔(29=セルティック)が、パラグアイ戦にフル出場。正確なパスで試合のリズムをつくりながら、代表歴の浅い選手らを引っ張った。試合は決定力不足で0-0で引き分けも、第2次岡田ジャパン初タイトルとなるキリン杯連覇を達成。6月2日のオマーン戦から始まるW杯アジア3予選に向けて、俊輔がチームを引き締める。

 中村俊は、左足でのパス1本ずつに思いを込めた。何度も声を出し、身ぶり手ぶりでパスコースを指示した。前半6分、右サイドの深い位置からDF長友に長いパスを出した。通らなかったが、何度も繰り返した。「いいサッカーをして勝てないと意味がない。勝つための何かを意識してやらないと」。22日のスコットランドリーグ3連覇の後、ほとんど寝ずに日本へ向かった。チームに合流した25日には左太もも裏の違和感を訴えた。そんな状況で先発し、すぐに「岡田ジャパン」の頭脳になった。

 代表2試合目の長友やこの日がデビュー戦のDF寺田らに、試合前から助言を送っていた。DVDで代表の全試合をチェック、長友の豊富な運動量を評価しつつ、動きが単調なことに気づくと「1度ボランチに当ててから、大きくオレの方に蹴れ」と指示。意識して長友を使おうとした。

 持ち前の精度の高いパスとプレースキックで、何度も好機を演出しかけた。大黒柱らしさを見せた。それでも試合後は、自分のことではなくチームのことばかり気にした。「前半はまあまあだった。(後半は)連係が少しうまくいかなかった。時間がないし、できるだけ話をして、イメージを合わせていきたい」。オマーン戦から始まるW杯3次予選に向けた課題を見つけ、チームを引き締めていく覚悟を見せた。

 MF遠藤らと中盤を組んだ前半は、リズムもよかった。それが後半になるとチームは、パスを2、3度しか回さず、急いで仕掛けてはボールを奪われる悪循環に陥った。結局、日本は無得点。MF山瀬、松井、FW大久保らが強引に個の能力で抜きにかかっては、失敗することに、中村俊はもどかしさを感じた。試合後に「個の発想だけでやらない。まずは(周囲に)合わせること」とチームメートに指示したという。

 98年1月、岡田監督に見いだされて代表候補合宿に呼ばれたから、今の自分があると感謝している。あれから10年。06年のW杯ドイツ大会でMF中田英が引退し、名実ともに日本代表の顔になった。先頭に立ち、ピッチ内で選手を育てるまでに成長。「ほかの選手とパイプをつくるには、今日は良かった。周りの良さをどれだけ出すか」。中村俊が「ピッチ内の監督」になり、真の「岡田ジャパン」の戦いが始まった。【村上幸将】