日本代表の岡田武史監督(52)が「不屈の魂」を胸に刻んで出陣した。日本代表は2日、W杯アジア最終予選バーレーン戦(6日)が行われるマナマに入った。出発前の成田空港で岡田監督は、市原(現千葉)コーチ時代の教え子で北京パラリンピックの車いすバスケットボール日本代表の京谷和幸(37)と10年ぶりに再会。交通事故で引退後、障害を抱えながら新たな競技で世界を目指す京谷の激励に、逆境にも負けない不屈のパワーをもらった。

 成田空港に到着した岡田監督の目に、懐かしい顔が飛び込んできた。パラリンピック日本代表のユニホームを着て車いすに座っている男は、かつての教え子、京谷だった。約10年ぶりの再会。昨夜から硬かった監督のほおが緩み、自然と笑みがこぼれた。肩をたたき、がっちり握手した。

 岡田監督

 頑張れよ。

 京谷

 はい頑張ります。

 岡田監督

 オレに頑張れはないのか?

 京谷

 岡さん、頑張ってください。

 岡田監督

 分かった。

 短い会話だった。だがそれだけで十分だった。「偶然会った。オレが(93年に市原の)コーチだったときの選手だったけど、あいつ事故を起こして…。久しぶりだった」。珍しく自分から切り出した。

 93年11月、五輪代表候補にも選出された京谷は、Jリーグに初出場した8日後、交通事故で選手生命を断たれた。当時コーチだった岡田監督は見舞いに訪れ、こう言った。「これからも目標を持たないと大変だぞ」。その一言が失意の教え子を車いすバスケットへ導くきっかけになった。「当時はうるせぇよと思ったけど、夢を持ち続けなければいけないと思った」と京谷は振り返る。

 実はこの日の再会は偶然ではなかった。北京へ出発する日が、岡田ジャパンの出発日と重なっていることを知った京谷が、代表スタッフに「出発前に会えますか」と電話で打診していた。3大会連続出場で今大会は選手団の主将を務める。「競技は違っても日の丸を背負うのは一緒。W杯を戦う選手に負けてられません」。恩師との対面を発奮材料にするつもりだった。

 もちろんアウェーの大一番を控えた岡田監督にとっても京谷の元気な姿は、大きな力になった。前日1日に流通経大に敗れて、苦悩の表情を見せていた。どん底に落ち込んでいた。それだけにサッカー選手の夢を失いながらも、世界と戦う舞台まではい上がった教え子の「不屈の魂」に励まされた。出発直前、岡田監督は搭乗口で待っていた京谷と再び握手した。「おう頑張れよ。オレたちも頑張ってくるからな」。言葉に力がこもっていた。【村上幸将】