東京の日本代表FW武藤嘉紀(22)が、ブンデスリーガ1部のマインツへの移籍を決断したことが29日、分かった。早ければ、今日30日の柏戦(味スタ)後にも発表される。東京とマインツのクラブ間の交渉は大筋で合意に達し、武藤本人の決断待ちとなっていた。メディカルチェックと契約書へのサインを残すものの、マインツ入りが事実上決定。プレミアリーグのチェルシーのほか、欧州の複数クラブによる争奪戦がようやく決着した。

 悩みに悩み抜いた武藤が、決断した。舞台はドイツ・ブンデスリーガ。今夏からマインツに移籍することを決めた。マインツ側にも意思を伝え、日程の最終調整を行っている。J1の第1ステージ(S)が終わる6月下旬にも渡独し、メディカルチェックを受けてからサインする運びだ。東京でのプレーは、今日30日の柏戦を含めたリーグ戦4試合とナビスコ杯1試合、計5試合となった。

 イングランドの名門チェルシーからオファーを受けて始まった移籍話。多くの欧州クラブが獲得に動く中で選んだのは、同じ日本代表FW岡崎が2シーズン在籍したマインツだった。4月に欧州視察したクラブ幹部がドイツで接触すると、即戦力として評価を受けた。4月下旬にはマインツのハイデルスポーツ・ディレクターが来日し、都内のホテルで直接交渉。高い評価を直接聞き、誠意に心を動かされた。

 クラブ間交渉は順調に進み、選択肢は次第に絞られていった。5月上旬に断りを入れたチェルシーからは、条件を上方修正して再オファーが届いた。それでも「試合に出られるところで」というこだわりを捨てず、新たな話を待ちながら、東京での試合に集中。複数の選択肢の中から、このほど決断に至った。

 移籍金は出来高込みで推定350万ユーロ(約4億7000万円)。年俸は推定110万ユーロで約1億5000万円と現在のおよそ7倍。海外1年目では異例の高額。4年契約でしっかりと腰を据えて成長し、将来的にプレミアリーグなどビッグクラブへの移籍を目指す。

 6月の東京のホーム試合は、第1S最終節の6月27日の清水戦だけ。その前は今日30日の柏戦以降、アウェー戦と日本代表戦が続く。順位は5位と首位戦線から1歩後退しているが「リーグ戦はもう4試合しかない。順位を1つでも上げるために、試合を落としたくない。勝ち続けたいというのが本音。まずは明日、チームのために走り回ります」。決意を秘めた言葉には力がこもっていた。

 <武藤の交渉経緯>

 ▽3月上旬 東京にチェルシーからオファーが届く。

 ▽4月8日 東京の大金社長がオファーを認める。武藤は「光栄ですが冷静に決断したい」。

 ▽4月下旬 マインツからオファーが届く。

 ▽5月6日 アウェー仙台戦で2得点。「今、サッカーを一生懸命やっているのは、海外移籍するためじゃない。東京で優勝したい気持ちが強いから」。

 ▽5月上旬 チェルシーに断りを入れる。

 ▽同12日 マインツから推定年俸100万ユーロ(約1億3500万円)を提示されていることが判明。

 ▽同21日 武藤の移籍について、東京の立石GMが「あとは本人が行きたいところを選んで、行き先を判断する。近いうちに発表しないといけない」。

 ▽同24日 マインツのハイデル氏は、武藤と接触を初めて認める。印象は「自信のある若者。聡明(そうめい)でフレンドリー」。

 ◆武藤嘉紀(むとう・よしのり)1992年(平4)7月15日、東京・世田谷区生まれ。松丘小時代はバディSC所属。中学から東京U-15深川でプレーしユース昇格。慶応高卒業時にトップ昇格の選択肢がある中で慶大進学。14年にサッカー部を退部し東京とプロ契約。昨季は33試合13得点、今季は13試合8得点。代表はデビュー2戦目のベネズエラ戦(14年9月)でゴール。国際Aマッチ11試合1得点。179センチ、72キロ。血液型A。

 ◆マインツ 1905年、ドイツ・ラインラント-プファルツ州に創設。現ドルトムントのクロップ監督のもと、04年にブンデスリーガ1部に昇格。後に2部に降格したが、09年に再び1部へ昇格。10-11年は史上最高の5位となり、欧州リーグ出場権を獲得。今季は11位に終わったが、加入2年目の岡崎は12得点で15得点の昨季に続きチーム得点王。本拠地コファス・アリーナは収容約3万4000人。マルティン・シュミット監督。