<J2:仙台4-0水戸>◇第48節◇8日◇Ksスタ

 J2仙台のキャプテンMF梁勇基(27)が、信念を貫き夢舞台の切符をつかんだ。03年秋、決まりかけていたJ1千葉への入団話が破談。韓国Kリーグ入りを模索した時、仙台に拾われた。誰にも期待されないJ2のテスト生から、同リーグ142試合連続出場の鉄人に成長。入団6年目で悲願のJ1昇格を決め、北朝鮮代表復帰にも近づいた。次なる夢は、来年のW杯南アフリカ大会。ベガルタの頼れる主将が、日刊スポーツに独占手記を寄せた。

 『やっと、やっとですわ。6年間、ホンマ長かった。毎年毎年、裏切り続けてたから、やっと期待に応えられた。オレがサポーターだったら、絶対に応援してないと思います。まだJ2で優勝したわけやないし、今日は涙を取っておきます。

 この6年を振り返ると“内定取り消し”から始まった。(03年11月に)当時オシム監督のJ1千葉から内定っぽい話をもらったんだけど(MF金位漫が移籍せず)在日枠が空かなくて。年が明けたら音信不通。あり得ない。焦って(04年2月に)川崎Fのキャンプに参加したけどダメで、気付けば開幕前の2月下旬。日本は無理やなぁと思って、韓国のKリーグを目指して荷造りもした。そんな時、大阪朝鮮高時代の監督が仙台を紹介してくれて。(千葉内定が消滅した)この話、今でも悔しい。入れ替わりで千葉が降格するのも何かの縁でしょうね。

 仙台に拾ってもらい、関東より北に初めて来た。「仙台といえば仙台育英」程度の知識。同じ04年入団のテグさん(手倉森監督、当時コーチ)には、よく意見を聞いてもらった。当時、監督に率直な思いを言える立場じゃなかったから。6年間をさかのぼると(サンタナ監督の)06年は不満しか出なかった。ブラジル人3人が攻め、8人で守る戦術に納得できなかった。ミスを犯してないのに外されたり…。腐りそうだったけど、その時に柔軟性の必要さを知った。見返したる気持ちで成長できた。

 昨季、磐田との入れ替え戦に敗れた後は脱力感でいっぱい。もうボールは蹴らんでええ感じ。ただ、J1との戦いはホンマ楽しかったから昨年末、移籍を考えた。G大阪移籍とか書かれたけど、ない話。移籍市場の中で自分の優先順位は1番じゃなかった。ほかの動向次第。その中で仙台が一番、必要としてくれた。

 今季は、ぶつかり合いもあった。1-0から追いつかれて引き分けた(9月23日)甲府戦の後、控室で攻守の意見の食い違いがあった。(MF関口とDFエリゼウが胸ぐらをつかみ合うなど)試合直後で興奮してたし、オレも本気で怒鳴った。怒鳴るのは年に1回あるかないか。でも、主張しないと分かり合えないし、いい機会だったと思う。

 個人的には、両足の内転筋の痛みを隠してた。走るのも痛い。開幕ダッシュに失敗した時は「何でうまくいかへん」って自分を追い込みすぎて口唇ヘルペスが出た。めったにひかん風邪で熱も出た。それでも、自分だけ離脱するわけにはいかん。その一心やった。

 来季からJ1。人生の中で勝負の2、3年と思ってる。J1で北朝鮮代表への復帰につながるプレーをしなければ。代表は、きずなで結ばれてる。体を投げ出したり、食らいつく姿勢は勉強になる。(8月の東アジア選手権で同代表が予選敗退し)川崎FのFW鄭大世から「梁勇基がいれば」と言ってもらった。リップサービスでも素直にうれしかったし、最後のチャンスに懸けたい。南アW杯を目指して、J1でも頑張ります』。(ベガルタ仙台MF)