来季の浦和監督に前広島のミハイロ・ペトロビッチ監督(54)が就任することが13日、分かった。この日、ペトロビッチ監督サイドと交渉し合意に至った。複数年契約で、年俸は推定4000万円。今日14日にも、クラブ側から正式発表される。前日12日には直接交渉していた前G大阪監督の西野朗氏(56)から断りの連絡を受け、新体制つくりは遅々として進まなかった。ペトロビッチ監督との合意によって、ようやく名門浦和の2012年の軸が決まった。

 迷走を続けたビッグクラブが、とうとう来季監督人選で合意にたどり着いた。混迷を深めた結末は、皮肉にも前監督のペトロビッチ氏から、新監督のペトロビッチ氏へのバトンタッチとなった。この日、浦和幹部が前広島のミハイロ・ペトロビッチ監督サイドと交渉し合意に至った。今日14日にも、クラブから正式発表される見通し。

 10月15日、大宮戦後にゼリコ・ペトロビッチ氏が突然の退任表明をして始まった一連の監督騒動は、約2カ月もの時間を費やした。シーズン終盤に勃発した一連の監督騒動に、ギリギリで戦った残留争い、一流監督との厳しい交渉と目まぐるしい展開となった。

 “3人目の正直”だった。当初、浦和は前日本代表監督の岡田武史氏にクラブ再建を託す構想だったが、具体的なビジョンを示すことができず、結果的に岡田氏は中国スーパーリーグ杭州緑城との交渉を優先。

 さらに、次期監督選定をスタートさせた段階からリストアップしていた西野氏に対し、急きょ再オファーを実施。8日には橋本社長らが大阪に出向き直接交渉。上々の感触を受けていた。しかし、12日に西野氏から橋本社長に直接断りの連絡が入り、監督選定作業は三たび振り出しに戻ってしまった。

 岡田氏、西野氏ともに抜群の実績を誇り、そうした監督経験者に対し、浦和の交渉が後手に回った感は否めない。また、西野氏はG大阪が最終節まで優勝争いしたため、具体的な交渉ができなかったことも、大きな誤算だった。

 過去ACLも制し、日本を代表するクラブだけに立ち止まる暇はなかった。山道強化部長は素早く動いた。橋本社長は「(強化部長が)候補者と会っている」と既に交渉が始まっていることを認めた。社長はかねて、求める監督像に「実績とプレースタイル、選手を束ねる力がある人」を挙げており、ペトロビッチ氏はすべてを兼ね備えていた。

 広島をJ1昇格させ、攻撃的なサッカーで強豪チームに育て上げた。若手育成にも定評があり、浦和は10年にもオファーを出すなど2年越しで実現した交渉となった。広島から移籍した愛弟子MF柏木も同氏を慕っており、苦しんだ浦和には結果的に理想的な人選となった。15位と沈んだ浦和が、新ペトロビッチ監督の下、攻撃サッカーで生まれ変わることになった。<浦和の監督人事経過>

 ◆10月15日

 ゼリコ・ペトロビッチ監督が試合後の記者会見で「来季は続けない」と発言

 ◆同16~19日

 岡田氏、原氏、西野氏サイドに連絡。いずれも否定的な返答

 ◆同20日

 ペトロビッチ監督解雇、堀ユース監督がトップ監督に就任

 ◆11月21日

 岡田氏と会って正式オファー

 ◆12月1日

 この日までに岡田氏から断られる。直後、西野氏にオファーも最終節残し交渉できず

 ◆同3日

 J1残留決定

 ◆同8日

 橋本社長ら3人が大阪に出向き、西野氏と会って交渉

 ◆同12日

 西野氏から断りの電話が入る

 ◆同13日

 強化部がミハイロ・ペトロビッチ氏側と会い、監督就任に合意