Jリーグ最多157ゴール、98年W杯フランス大会で日本人初ゴールを決めた札幌FW中山雅史(45)が今季限りで引退することが4日、クラブから発表された。両膝痛に悩まされ今季は出場1試合にとどまっていた。この日、札幌市内で行われた引退会見では、まさかの“カムバック宣言”。熱いプレーと粋な発言で日本サッカー界をけん引してきた男は、去り際ぎりぎりまでゴン節全開で締めくくった。

 最後まで、おちゃめでユーモラスなゴンらしさを貫いた。会見の会場に立つと、まずは3秒間、深々と頭を下げた。「私、中山雅史は今シーズンをもって第一線を退くことを決めました。長い間ありがとうございました!」。プロ19年、Jリーグ最多157得点の金字塔を打ち立てた伝説のストライカーが、19年のプロ生活に幕を下ろした。

 と、思わせたのもつかの間、さすが役者だ。ただでは終わらない。今後について聞かれると、待ってましたと、ゴン節がさく裂した。「これからも静岡でリハビリは続けます。カムバックするときはみなさん来てくれますかね?

 カズさんには、カムバックすると心変わりしたら電話しろよ、と言われてますからね」。引退会見での意表をついた“再起宣言”で、しんみりムードを一蹴した。

 未練たらたらだった。本来は11月19日に、引退を決断する予定だった。だが静岡の専属トレーナーに相談すると「まだいける」と背中を押され決意が揺らいだ。引退を決意した場合、クラブでは24日のホーム最終横浜戦にカズや、名波氏ら親しい著名人を呼んで、盛大にラストマッチを行うことも考えていたが、あくまで本人の意思を尊重した。

 だが、両膝は限界。その横浜戦で45歳2カ月1日のJ1最年長出場を果たした。811日ぶりの公式戦だったが、ベンチメンバーながら前、後半と2度痛み止めを飲んで臨んでいた。「走れるようにはなった。でもこうであってほしいというレベルに体が動かなかった」。クラブのドクターも「走っているのが奇跡だ」と言うほどの状態だった。

 でも未練たらたらだった。前日3日に精密検査を受け、状態が悪化していることが判明。夜に代理人とこの日早朝3時まで話し合ったが結論は出し切れなかった。さらに会見前にはクラブハウスを訪れ約2時間、トレーニング。「(会見の)控室にいるときまで、やめなきゃいけないのかなと思ってましたから」と揺れる胸中を明かした。

 未練たらたらだからこそ次のことを考えられなかった。「将来については白紙。コーチライセンスは取りたい。取っていく中でコーチ、監督に興味が出てくれば。代表監督としてW杯の舞台に立てれば理想だし。そこで進化があれば、さっきの言葉に戻りますけど」。やめたくない-。現役にこだわり抜いた、ゴンらしい踏ん切りの悪いコメントを残して、ユニホームを脱いだ。【永野高輔】

 ◆中山雅史(なかやま・まさし)1967年(昭42)9月23日、静岡県志太郡岡部町(現藤枝市)生まれ。小4でサッカーを始め、藤枝東-筑波大を経て90年にヤマハ(現磐田)入り。94年にJ昇格以降、獲得したタイトルは98年にリーグMVP、得点王2回(98、00年)ベストイレブン4回(97、98、00、02年)。オールスターでのMIP3回(01、05、07年)は最多。J1通算354試合出場157得点。J2通算13試合無得点。日本代表通算53試合21得点。W杯は98年フランス大会、02年日韓大会連続出場。178センチ、72キロ。血液型はO。家族は女優の生田智子夫人と1女。