昨季、良い意味でも悪い意味でも清水に「驚き」を与えたのはFW長沢駿(26)だった。J2松本(今季J1)など3年間の期限付き移籍を終え、勝負の年だった2014年。序盤戦は自身初の公式戦5試合連続ゴールを奪って進化を示したが、4月のアウェー徳島戦で右膝前十字靱帯(じんたい)を断裂し、長期離脱を余儀なくされた。最終節の甲府戦までJ1残留争いを演じたチームとともに、激動イヤーだった。その1年を振り返るとともに、完全復活を誓う2015年の意気込みを聞いた。

 激動の2014年を乗り越えたFW長沢は穏やかな表情だった。クラブハウスの一室に腰を掛け、静かな口調で真っ先に振り返ったのは、約7カ月間の長期離脱を余儀なくされた右膝前十字靱帯断裂の大けがだった。

 長沢

 予想外だった。小さい頃から、日本平の大歓声の中で1年間活躍することが夢だった。主役、ヒーローになりたい気持ちが本当に強かった。そういう気持ちがずっとある中で、ようやくエスパルスの力になれるようになってきたところだった…。

 開幕直後のナビスコ杯仙台戦から、自身初の公式戦5試合連続ゴールを奪った。11年から3年間、J2への武者修行を経験した苦労人はプロ8年目で、ついに自らの夢を実現するスタートを切った。しかし直後の4月徳島戦で右ひざ負傷に見舞われた。

 長沢

 ドクターにチェックしてもらっている時にはもう「できる?」という話はなかった。はっきり「やめた方がいい」と言われた。点を取るイメージや感覚をつかみかけていたし、自信も芽生えてきた時だった。そういう感覚を持てたのも初めてだったし…。悔しくてしょうがなかった。

 肩を落とし、落胆していた長沢だが、両目に飛び込んできた徳島戦での「ある光景」が折れかけていた心を奮わせてくれた。後半ロスタイム、DF広井友信(30)がアキレスけん断裂の大けがから戦列復帰を果たした。

 長沢

 黙々とやってきた広さんをずっと見てきた。このタイミングで広さんが復帰したことに何かメッセージがあったのかな?

 と思った。俺も本当にこういう風に復活しなきゃいけないって、その日に思えたことが大きかった。諦めかけた自分に光が差した感じだった。

 腐らずにひたむきに負傷と向き合ったベテランの背中が励みになった。そして長く、つらいリハビリ期間中を支えてくれたのもチームメートだった。

 長沢

 (FW大前)元紀が送り迎えをしてくれたりとか、みんながとにかくお見舞いに来てくれた。時には「部屋があふれて大変なことになっているから」と病院の人に言われて、リハビリを切り上げて病室に戻ったこともあった(笑い)。1人では絶対に無理だったし、周りに支えられた。去年は残留争いもあって、選手だけではなくチーム全体で1つになるという感覚も味わった。そういう「チーム」というものをあらためて感じた1年だった。

 大けがで失ったものもあったが、得たものも大きかった。だからこそ今季に懸ける思いは、より一層強くなった。シーズン中にクラブ側から打診された契約期間2年延長のオファーを即決した。11月の柏戦では復帰後初ゴールも記録し、完全復活に向けて確かな1歩も踏み出している。

 長沢

 恩返しをしなければいけない立場。2年延長の話も、考える余地はなかった。このチームのために自分はやらなきゃいけない。エスパルスに育ててもらった選手だからこそ、このチームを背負っていかないといけない。その上で、まずは絶対にけがをしないこと。そして、開幕に万全の状態を整えて今季こそ最低でも10点以上は取りたい。

 2015年、長沢の進撃が清水の起爆剤になりそうだ。【取材・構成=前田和哉】

 ◆長沢駿(ながさわ・しゅん)1988年(昭63)8月25日、静岡市清水区生まれ。清水ジュニアユース-同ユースを経て、07年にトップ昇格。11年からJ2熊本-京都-松本と3年間期限付き移籍を経験し、14年に清水に復帰。J1通算17試合4得点。J2通算79試合12得点。191センチ、80キロ。家族は夫人。血液型はB。