<横浜国際女子マラソン>◇20日◇横浜市山下公園発着(42・195キロ)

 09年の世界選手権銀メダリストの尾崎好美(29=第一生命)が、2時間23分56秒の好タイムで優勝し、2大会連続の世界切符をつかんだ。持ち前の安定したレース運びから39キロすぎにスパートし、余裕のゴール。代表選考基準となる2時間26分を大きくクリアし、8月の世界選手権(韓国・大邱=テグ)行きの内定第1号となった。尾崎は「大邱でメダルを取って、来年の五輪出場を決めたい」と宣言。日本女子マラソン界のエースが、港町・横浜からロンドンに向け、絶好のスタートを切った。

 39キロすぎ、沿道から「神の声」が飛んだ。「行けっ!」。40キロからの勝負を思い描いた尾崎だが、迷わずスパートをかけた。坂道のアップダウンを使い、粘る中里、バロスを一気に突き放す。その勢いで潮の香り漂う港町を疾走し、山下監督の待つ山下公園内へ。最終直線の「赤い靴はいてた女の子像」前を抜けると、赤いフレームのサングラスを左手で外し、緑の靴でゴールに飛び込んだ。

 記録は2時間23分台で、日本歴代14位相当だ。尾崎は「タイムは考えていなかったけど、いい記録。もうあと2キロでスパートしようと思ったら、ある人から声をかけられた」。その声の主をたずねられると「言っていいんですか…、監督の旦那さんです」。元チームスタッフの吉原智司さんだった。山下監督は「たまたまいたんでしょうね」と苦笑し、「自己記録(2時間23分30秒)の更新も狙える展開だったので、早くスパートしてほしかった。それが伝わったのでは」。さまざまな人の思いがつまったレースで、勝つべくして勝った。

 世界切符とは別に、特別な大会だった。「今までで一番勝ちたかった」と言う。神奈川・相洋高時代の2年先輩の安藤美由紀の最終レース。12位で安藤がゴールすると、山下監督と3人で抱き合った。尾崎は800メートル、3000メートルを専門とした高校時代、県総体8位が最高成績。実業団から声がかからず、安藤のツテを頼って第一生命に入った経緯がある。そんなカメが、今や日本のエースに成長。山下監督は「地味に力をつけて、自ら声を上げ、花火を打ち上げられる選手になった」と表現した。

 今後はスピード強化をテーマに、世界選手権でのメダルどりを狙う。5度のマラソンで2位以内が4回。安定した強さが持ち味だが、昨年4月のロンドンは13位。その屈辱がバネとなり「もう1回ロンドンに行って、リベンジしたい」との思いが強い。だからこそ「五輪に出るだけでなく、戦いたい。そのためにも大邱でメダルを取れないと戦えない」。優勝の余韻に浸ることなく、尾崎はロンドン・ロードをひた走る。【佐藤隆志】