競泳界のレジェンド、北島康介の言葉は印象的だった。「今から6年間、競技にまい進できる選手がうらやましい」。高校生で00年シドニー大会に出場した北島は、常に「4年周期」で五輪に臨んできた。シドニー大会後に「次は金メダルをとる」と誓って04年アテネ大会で実現。「2連覇する」という思いで08年北京大会に挑み、勝った。

 五輪競技の選手は、生活を4年サイクルで考える。「五輪イヤー」の次は「五輪翌年」、さらに「五輪中間年」、「五輪前年」と続いていく。1年1年が勝負のプロ野球や、3カ月単位を繰り返す大相撲とは違う「時計」を持っている。4年後を目指して練習計画を練り、記録や技術を伸ばしていく。そこでは、なかなか「4年後のさらに先」を考えることは難しい。

 進学や就職を考える時も「4年スパン」が基本になる。北島の場合は高校3年生でシドニー大会を迎え、日体大4年でアテネ大会に臨んだ。環境が変わる前に五輪を迎えられる「いい巡り合わせ」ともいえる。4年間の環境変化の競技への影響も考えながら生活設計をすることは、五輪を目指す選手の常識なのだ。

 昨年9月に20年東京五輪開催が決まった。「20年五輪を目指す」日本の若い選手のターゲットが「20年の地元五輪を目指す」と明確になったのだ。多くの選手が6年後を考えて競技人生を設計する。その選手の指導者たちも「6年間」という長いスパンで強化を考えることができる。

 日本レスリング協会は5月、20年東京五輪を目指す「ターゲット選手」39人を発表した。メダルを狙える選手たちを絞り込み、協会をあげて強化をしようという試みだ。どの競技団体も「6年スパン」で地元五輪を目指している。

 中学生で唯一ターゲット選手に選ばれたのが、女子48キロ級の須崎優衣(JOCエリートアカデミー)。21歳で迎える五輪へのレールを明確に描いている。「19年の世界選手権に出て金メダルをとって、自信を持って20年に臨みたい」。6年間を「短いと思う」とも言った。その頭の中には、6年間にやるべきことがたくさんあるに違いない。

 五輪が4年周期になった理由は、古代ギリシャの暦にあるといわれている。この4年というのが絶妙。毎年開催では、これほど多くのドラマが生まれたとは思えない。五輪を逃したり、五輪で失敗したりすると、4年後までリベンジの機会は訪れない。

 一部の競技を除けば、競技生活のピークは数年しかない。五輪開催年にピークを合わせることができるかどうかは、運もある。若い選手は今から「6年後」を照準にピークを持っていくことができる。北島は、それがうらやましいのかもしれない。

 8月には20年五輪代表候補が多く出場する高校総体も行われる。20年東京五輪開催が決まって初の大会が行われるのは、6年後の舞台となる東京など南関東。暑い夏が、若い選手の躍動でさらに熱くなりそうだ。【荻島弘一】