「押さば引け、引かば押せ」

 柔道の創始者、嘉納治五郎の格言だ。

 相手が押してきたら下がり、引いてきたら前に出て間合いを詰める。これにより相手を崩し、一本に至る。力を利用して「柔よく剛を制する」柔道の極意を説いた言葉だ。ふと思いだしたのは、それがある男の2016年の終わりの姿に重なるからだった。

 リオデジャネイロ五輪柔道男子60キロ級銅メダリスト、高藤直寿(23=パーク24)。

 彼が今年、「相手」にしてきたのは五輪そのものだった。その威光、重圧。8月のブラジルの戦いが始まるまでは過剰に押し寄せ、悲願だった金メダルを逃してからは引いていった。そしてようやく、師走に入り、再び五輪に組み合う心構えは、柔道本来の極意に沿うための一歩をしるした。


 「おれ、強いわ、やっぱ」。

 高揚感丸出しの敗者が、取材エリアに堂々と入ってきた。今月2日、東京体育館で開催されたグランドスラム東京。日本で唯一行われる国際大会は、来年の世界選手権に向けた重要な選考も兼ね、五輪が近づくにつれて意味は増す。逆に言えば、五輪が終わった同年大会の価値は、まだ十分には4年後の東京につながるとは言えない。すなわち、リオ五輪メダリスト12人のうち出場したのは4人のみ。それも合点がいく。精根尽き果てる戦いを終えて半年は、まだ「わずか」の範囲だろう。そこに高藤はいた。しかも敗者として。

 決勝の相手は東海大の後輩、永山。残り50秒での逆転一本負けに先輩の誇りは悔しさを生むはずが、そうではなかった。感情の向かった先は、強さへの確信。そして、柔道に向き合う自分への確信だった。

 「オレはここで生きていかないといけない人なんだな」。

グランドスラム東京の決勝で永山(左)に一本負けした高藤は笑顔で健闘をたたえ合う
グランドスラム東京の決勝で永山(左)に一本負けした高藤は笑顔で健闘をたたえ合う

 「もう柔道嫌だな」。

 揺らいだ。リオ、準々決勝で一本負け。敗者復活戦を勝ち上がっての3位。圧倒的な下馬評にはそぐわない結果。虚無感、虚脱感、無為。帰国後はメダリストとしての行事に終われる日々に感情を押しとどめたが、漏れる喪失はただならなかった。その負の感情をもてあます姿は、グランドスラム東京でも露骨だった。顔に覇気がない。欠落よりどこか緩さを感じさせる。眉毛を下げて、血走った目で、威嚇するように前方をにらむ、リオまでは常だった顔がそこにはなかった。前日、「だめだなあ、緊張感がない…」とつぶやいていた。深刻さは明白。出場はマイナスにしか働かないと、そう感じていた。決勝で負けた後の取材エリアで、照れ隠しのおどけもおまけにつけながら、素直な気持ちを教えてくれるまでは。

 「今日試合して、やっぱ柔道好きですね。お手本のような答えでしょ」。


 五輪は恐ろしく「押してきた」。試合当日の朝、選手村の部屋のベランダで、ぐるぐると30分回っていた自分を、高藤は覚えていない。過度に追い込まれ、引くこともままならず、自らが崩されていた。勝負が終わると、今度は一気に引いていった。銅メダリストであることの価値、それが喜びなのか悔恨なのかかみ砕けない日々に足踏みし、一気に間合いは開いた。だから柔道が嫌になったのだろう。そして迎えたグランドスラム東京の決勝戦。そこで気づかされたのは、「好き」という単純に最大価値のある事実。それがなんとも安心感を覚えさせた。

 高藤はいつも、試合会場では観客席の最前列が指定席。60キロ級以外の試合もつぶさに眺め、試合展開を予想して、侃々諤々(かんかんがくがく)。道場に通い始めた小学生の頃から変わらぬ日課だ。練習がある日に親が車を出せないときは、午前6時半に間に合うために、明け方に自転車で家を出て、片道20キロ以上ペダルをこぐこともまれではなかった。それも柔道が好きすぎたから。その一本貫く心持ちは、やはり五輪が生んだ「嫌」という感情では消せない。


 「リオのメダリストとかそういう注目度が消えた。僕も普通の人だなと。負けたら五輪3位がなくなるとかではないですし。(試合に)出たことにはすごい意味があったな」。

 五輪との「間合い」を詰めるため、ようやく踏みとどまっていた重い足を前へと運べる。もともと、試合では敵の力を利用する事にたけては天下一品。試合中のひらめき、対応能力はそこに裏打ちされる。足取りが禁止になっても得意技は「肩車」。足を持たないで投げるには、十二分に相手を崩してしまう「押さば引け、引かば押せ」が欠かせない。それは相手が五輪になっても同じだ。

リオ五輪男子60キロ級3位決定戦で勝ち両手を広げて立つ高藤
リオ五輪男子60キロ級3位決定戦で勝ち両手を広げて立つ高藤

 最後に1つ。リオ五輪での3位決定戦。指導の差で勝利を決めると両手を横に開いて、笑顔を見せた。「金メダルを取って当たり前」という文化がいまも根深い柔道界では、銅メダルを獲得して喜ぶという前例はなかった。それ以降の銅メダリストたちが「すいません」という言葉を口にすることの是非が世論を騒がせたりもしたが、初日に登場した高藤はその例外だった。あらためてその時のことを聞くと、こう返された。

 「まず、誰も気付かないけど、キリストでしょ。あのポーズは」。

 リオデジャネイロのシンボルでもある、コルコバードの丘にそびえ立つ、両手を開いたキリストの巨像。実はあのガッツポーズにはそんなユーモアがあったとは…。五輪との、なんて良い距離感じゃないか! 押しつぶされず、引きすぎず、相手に沿わせるくらいの余裕があってちょうど良い。

 そして、追加した言葉も、高藤の本質が透けて、ちょうど良かった。

「相手に失礼ですよ、4年間戦ってきて、勝って『ああ…』となっているのは。『こいつ何?』って思いませんか。外国人はめっちゃ喜ぶじゃないですか。まずは4年間頑張った自分にホッとしたのと、みんな見ているからね、悲しまないでと。悲しむのは1人で悲しめるから」。

表彰式の前、1人で号泣することを選んだのは、誰よりも柔道が好きで、その競技に取り組む相手への敬意を感じていたから。


 こんな男だからこそ、4年後の東京では「押さば引け、引かば押せ」の極意を体現してほしい。五輪に対しても、畳の上で対峙(たいじ)するライバルたちにも。【阿部健吾】


 ◆阿部健吾(あべ・けんご)1981年(昭56)9月1日、東京都稲城市生まれ。08年入社後、スポーツ部に配属(現五輪パラリンピック・スポーツ部)。ゴルフ、サッカー、五輪担当(柔道、フィギュアスケート)を経て、11月よりボクシング担当。「真実は細部に宿る」がモットー。