08年北京五輪のフェンシング男子フルーレ銀メダルの太田雄貴(29=森永製菓)が、金メダルを獲得した。日本勢の世界一は全種目を通じて史上初。20年東京五輪招致にも尽力した日本の顔が、快挙を達成した。準々決勝でロンドン五輪覇者を破るなどして勝ち上がり、米国選手との決勝も巧みな駆け引きで主導権を握った。試合後、来年のリオデジャネイロ五輪後の引退を示唆した。

 そわそわしながら表彰台の一番高い場所に立った太田は、まぶしく光る金メダルを首にぶら下げて君が代を聞いた。何度も挑みながら、はね返されてきた世界の頂。12年ロンドン五輪後に約1年間、試合を離れた男が、ついに駆け上がった。「1つ目標を達成した。言葉にできない」と万感の思いを語った。

 守りを怠らず、多彩な攻めも際立った。「試合の中でも、攻防を随所に変えることができたのが非常に良かった」と自賛するほど、納得の戦いぶりだった。

 隙のない動きは圧巻だった。10年世界選手権で決勝進出を阻まれたロンドン五輪王者の雷声を準々決勝で破り、勢いが増した。アレクサンダー・マシアラス(米国)との決勝では7-2から連続して5点を許し、追い付かれた。それでも豊かな経験を誇る29歳の第一人者は動じなかった。丹念に剣を出して確実にポイントを重ね、栄冠をたぐり寄せた。日本協会の江村宏二強化副本部長も「剣が速く、瞬間的なひらめきがある」と舌を巻いた。

 ロンドン五輪の団体と合わせて、既に銀メダルを2つ持つ太田。30歳で迎える来年のリオデジャネイロ五輪について「今はリオで一区切りだと思っている」と話し、集大成になる可能性がある。

 今大会の優勝で個人の出場に道は開けたが、団体は中国や韓国との激しい出場枠争いが続く。「団体での五輪の金メダルをみんなで分かち合いたい」という大きな目標へ、歩みは止まらない。

 ◆太田雄貴(おおた・ゆうき)1985年(昭60)11月25日、滋賀県大津市生まれ。比叡平小3年からフェンシングを始める。フルーレ専門で、京都・平安高では史上最年少の17歳で全日本選手権優勝。04年アテネ五輪9位。06年アジア大会では日本勢28年ぶりの優勝。08年の北京五輪では日本初のメダルとなる銀。10年世界選手権銅メダル。12年ロンドン五輪では団体で銀メダル。同大から08年11月に森永製菓入社。171センチ、65キロ。血液型O。家族は両親と兄、姉。