浅田真央(26=中京大)を世界のトップ選手に引き上げたのが、伝家の宝刀のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)だった。「これがあるから自分は強くいられる。決まると乗ってくるし、大きな見せ場で、自分の強みでもある」と、こだわったジャンプ。時に悩まされ、時に喜びをもたらした大技への挑戦史は、競技人生そのものだったと言っていい。

 女子では1992年アルベールビル冬季五輪銀メダルの伊藤みどりが初めて成功させた。浅田は「憧れの存在だった」というクラブの先輩を追うように、伊藤を教えた山田満知子コーチに師事し、小学生から取り組み始めた。

 11年に死去した母、匡子さんとの思い出が詰まった特別なジャンプでもあった。10年バンクーバー五輪後から指導した佐藤信夫コーチは「アクセルはあなたの生きがい」と教え子の心情に理解を示し、看板技の復活を支えた。宿敵の金妍児(韓国)も諦めた高難度の技を、浅田は人一倍の練習量で跳び続けた。