1966年(昭和41)4月28日★32票、バンフに大差、30年の悲願が一回で決まる

 【ローマ二十六日=共同】札幌市の悲願だったオリンピック冬季大会の招致が実現した。IOC(国際オリンピック委員会)総会は二十六日午後三時(日本時間同日午後十一時)から、南アフリカ問題に引き続き、七二年オリンピック夏季および登記大会の開催地について投票。まず夏季大会開催地にミュンヘンを選び、次いて冬季大会開催地に札幌を選出。日本は三十年来の悲願が実った。

 

 冬季大会開催地決定は、二十六日午後三時十四分(日本時間午後十一時十四分)に始まった。まずラハチ(フィンランド)の適格性が約一時間検討されいろいろの論争の末、適格と認められた。

 このあといよいよ投票が始まった。下馬評ではパンフ(カナダ)が圧倒的優勢を伝えられ、札幌は夏季大会にモントリオールが選ばれた場合のみチャンスがあるといわれていた。ところが結果はまったく結果はまったく逆になった。札幌32、パンフ16、ラハチ(フィンランド)9、ソルトレークシチー(米)4。札幌は勝った。

 一回の投票で早くも過半数を占めて勝ったのである。札幌は一九六四年インスブルックIOC総会の惨敗に雪辱し、パンフは前回に続き本命といわれながら再び涙をのんだ。

 札幌が逆転劇を演じた原因はパンフが野生動物保護協会からクレームをつけられることと、札幌のプレゼンテーションがIOC委員に強い印象を与えたこと、一九四〇年の大会が中止になったことなどあげられよう。★朗報に乾杯の連続

 一九七三年のオリンピック冬季大会札幌開催決定の祝賀パーティーが、二十七日午後六時から東京・渋谷の岸記念館体育会館特別食堂で行われた。

 会場には「祝杯開催決定」のタレ幕がさげられ、大庭体協専務理事、画角、富永両招致実行委幹事、青木日本ユニバシアード委副委員長ら留守を預かる関係者。約百人が集まった。直前まで、「札幌不利」を伝えられていただけに、この朗報にどの顔も喜びがあふれていた。ビールで乾杯の連続。

 会の途中で病期のため、こんどのIOC総会に欠席した高石IOC委員が姿を見せ「知らせを聞いて驚いた。ブランデージIOC会長がわれわれが予想している以上に日本を愛してくれていたことが大きな力となったのだろう」とあいさつ。続いて大庭専務理事の「開催が決まったからには、東京大会の成果を汚さないよう準備に当たりたい。六年先といってもすぐにやってくる」と語った。※表記は当時のものをそのまま再現しています。