ボクシングのロンドン五輪ミドル級金メダリスト村田諒太(26=東洋大職)が引退を視野に長期休養する。26日に和歌山県立体育館で行われた国体近畿ブロック大会決勝では、竹迫司登(龍谷大)に2回56秒で貫禄のRSC(レフェリーストップ・コンテスト)勝ち。試合後に「ボクシングはこれでひと区切り」と話した。今後の試合予定はなく、16年リオデジャネイロ五輪も目指さない意向。海外留学で指導者の道へ進む人生設計も明かした。

 衝撃の“引退宣言”だった。ロンドン金メダリスト7人の先陣を切った凱旋(がいせん)試合、強さを見せつけた村田からまさかの言葉が飛び出した。4年後の五輪2連覇に期待が懸かる世界王者が、この試合を現役最後のリングとする可能性を示したのだ。

 村田

 僕のボクシングはここで一区切りと考えている。休むというか、基本的には現役を続けようとは思っていない。リオは新しい選手が出てきて活躍している。その時、僕はメディアの前にいないと思う。まずはゆっくりしたい。

 ロンドン五輪で48年ぶりの日本人金メダリストとなった。1億円の契約金を用意するプロもいる。「今後」について注目が集まる中、前日25日にはアマチュアボクシング連盟の山根明会長(72)に相談。同会長は「連盟としては4年後に期待だけど、私は引退して世界に通じる指導者になってほしい。4~5年は海外で勉強したいと言っていた」と海外留学の希望があったことを明かした。

 村田は南京都高の恩師、故武元前川さんを尊敬する。五輪直後も「先生のように五輪選手を育てたい」と話していた。留学について「今は大学職員という責任ある立場。勝手に考えているだけで何年先でもいい」と前置きしながら「ボクシングは個人の感性に頼っている。指導者になるならスポーツ科学や語学を勉強したい。今は現役続けるより新しいことにチャレンジしたい」と熱く語った。

 ただ、08年にも北京五輪出場を逃して引退した過去がある。今回も「1回やめて戻ってきた人間なので」や「『村田引退』の見出しかもしれませんが、引退は確実ではない」と揺れる心境も明かした。この日は関西学生リーグMVPの竹迫から3度のスタンディングダウンを奪い、相手陣営がタオルを投げ込む圧勝劇だった。誰もが「もったいない」と思う強さだが、世界選手権やW杯にも興味を見せなかった。「ゆっくり休んで考えます」。日本ボクシング界の宝が「金メダル人生」を熟考する。【近間康隆】

 ◆村田諒太(むらた・りょうた)1986年(昭61)1月12日、奈良市生まれ。伏見中1年でボクシングを始め、奈良工(現奈良朱雀)や大阪・進光ジムなどで練習を積む。南京都高で高校5冠。東洋大では04年の全日本選手権で初優勝。06年ドーハ・アジア大会代表。08年に1度は引退するが、09年春に復帰。昨年の世界選手権では日本人過去最高の銀メダル。ロンドン五輪では日本人48年ぶりの金メダルを獲得した。右ファイター。家族は夫人と1男。182センチ、77キロ。