<バドミントン:世界ジュニア選手権>◇最終日◇3日◇千葉ポートアリーナ

 震災を乗り越えて、リオデジャネイロ五輪の星が世界の頂点に立った。日本代表の桃田賢斗(18=福島・富岡高)が、男子シングルス決勝で中国の薛松(18)と対戦。東日本大震災で被災した同級生の声援にも後押しされ21-17、19-21、21-19で接戦を制し、日本人として初のジュニア世界一に輝いた。女子シングルスも、奥原希望(17=埼玉・大宮東高)が日本に初の金メダルをもたらした。

 桃田の耳に、スタンドの富岡高バドミントン部員たちの声が届いた。「あきらめるな!」。ファイナルゲーム17-19、後がない状況で「みんなの声が、心に響いた」。目覚めたように4連続ポイント。ネット際のシャトルに飛びつくように21点目を奪うと、そのままコートに転がり両手を高々と上げて喜びを表した。

 「あきらめない」は、富岡高バドミントン部員の魂の言葉だった。昨年の大震災、同校は福島第1原発の影響で立ち入り禁止になった。生徒たちは県内の高校に分散した。強豪のバドミントン部も9人が転校し、残った部員は猪苗代高に移った。「練習どころか、生活にも困った」と桃田。それでも、周囲が支えてくれた。環境が整い、練習場所も確保された。「富岡や猪苗代の人たちに、少しは明るいニュースが届けられたかな」と桃田は笑った。

 日本代表の栂野尾(とがのお)監督は「最後まであきらめなかった。それが成長」。桃田も「みんなへの恩返しは、結果でしかできない。1戦1戦への気持ちは強くなった」という。4年後のリオ五輪、たくましさを増した新星は「もっと強くなって、その舞台に立ちたい」と話した。【荻島弘一】

 ◆桃田賢斗(ももた・けんと)1994年(平6)9月1日、香川県三豊市生まれ。吉津小2年からバドミントンを始め、6年で全国小学生選手権シングルス優勝。福島・富岡一中にバドミントン留学し、3年時に全国中学大会シングルス制覇。富岡高進学後の11年に世界ジュニアのシングルスで銅メダル獲得。同年末の全日本総合で8強に進出し、日本代表入りを果たした。174センチ、68キロ。