<スピードスケート:ソチ五輪代表選考競技会>◇最終日◇29日◇長野・エムウエーブ

 女子1000メートルで高木美帆(19=日体大)が、1分18秒26で5位に終わり、2度目の五輪への道が絶たれた。27日の得意の1500メートルで5位に敗れると歯車が狂い、28日の3000メートルも5位。背水の陣で挑んだこの日も同種目の五輪代表4枠に入れず夢がついえた。10年バンクーバー五輪に史上最年少15歳の中学生で出場し、2度目の五輪も当然、期待されたが、スタートラインにさえ立てなくなった。

 とてつもなく大きな「0秒03」差だった。高木はゴール後、電光掲示板で自分の順位を確認すると、両手を膝につきうなだれた。目はうつろでまさに放心状態。4位の神谷との差はわずかに0秒03弱だったが、4つある同種目の代表枠から漏れた。1500、3000メートルでも5位。ソチへの挑戦が終わりを告げた。「五輪ということをどこかで甘く考えていた。負けを認めざるを得ない」と力なく答えた。

 中3だった前回五輪の選考競技会。W杯組を押しのけ1500メートルを制するなど同競技史上最年少での五輪出場権を手にし、ヒロインの座を射止めた。あれから4年。高校時に世界ジュニア選手権を連覇するなど順調に成長し続けたが、真価を問われた五輪シーズンに落とし穴が待っていた。

 今春、日体大に入学し、環境が大きく変わった。練習量が減り、その分、質を求めてフォーム改造などに取り組んだものの、前半戦W杯代表を決める10月の全日本距離別選手権で狙った同1500メートルで代表から漏れるなど、調子が上がってこなかった。「どうしていいか分からない」と珍しく弱音を吐くほど、スケート人生で初めてのスランプにもがき苦しんだ。

 疲れもピークだった。11日開幕のユニバーシアード代表に選出された。1000メートルで優勝したとはいえ、3種目(1500、3000メートル)に出場し、帰国は21日。ハードな日程で時差ぼけが抜けず、万全とはほど遠い状態だった。指導する青柳徹監督も「影響は大きかった」と分析した。

 五輪でのメダル挑戦は、18年平昌五輪に持ち越されたとはいえ、下ばかりを見てはいられない。「平昌が年齢的にも一番狙える。五輪でも上位を狙っていけるような力をつけたい」。この挫折を乗り越えて、「ミポリン」は、きっと大舞台に戻ってくる。【松末守司】