力士らの野球賭博問題で、開催自体も危ぶまれた大相撲名古屋場所(愛知県体育館)の番付が5日、1週間遅れで発表され、場所に向けてのカウントダウンがようやく始まった。11日の初日の6日前で、最近では異例の遅さ。番付作成の作業上、元大関琴光喜と元大嶽親方(元関脇貴闘力)の名が残った。

 当初は6月28日の発表だった。しかし、6月中旬以降、角界は社会問題化した賭博問題に揺れ、対応を協議する臨時の理事会と評議員会の開催が同じ日にあったため、戦後の混乱期で印刷が遅れた1946年11月場所以来の発表延期となった。

 相撲協会は、賭博問題を調査するために設置された第三者機関、特別調査委員会から、大関琴光喜、大嶽親方の解雇以上の懲戒処分、10人以上の関取や武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)らの今場所の謹慎など、厳しい勧告を受け入れて、名古屋場所の開催に踏み切った。

 幕内では平幕の豪栄道、豊ノ島、雅山、豊響、若荒雄、隠岐の海の6人が謹慎処分を受け、十両では大道、清瀬海、千代白鵬、春日錦の4人が出場できない。元琴光喜を除いて、十両以上の力士10人がいない。初日から大量の力士が不在というのもこれまでにない事態となった。

 番付が発表され、各部屋は本場所への準備に余念がない。大嶽部屋(愛知県愛西市)には5日朝、元大嶽親方が訪れ、力士らにあいさつして去ったという。

 武蔵川理事長に代わり今場所中は、千秋楽の25日まで村山弘義外部理事(元東京高検検事長)が理事長代行を務める。琴光喜の解雇で、大関以上の日本人力士は魁皇ただ1人となった。