「沖縄での2試合で西鉄ライオンズの球団旗を掲揚し、ダグアウトにユニホームを掲示します」。6月27日からの西武-ロッテ2連戦(沖縄セルラー那覇)。西武のベンチ裏には、こんな連絡が張り出されていた。

 西武が同地で公式戦を開催するのは、西鉄時代の61年以来、56年ぶり。沖縄が返還された72年5月15日の日付とともに、当時はパスポートが必要だったこと、入場券がドルで販売されていたこと、センターポールに特別許可を得て日章旗が掲げられたことなど、詳しく記されていた。球団関係者は「球団の歴史を少しでも選手に知ってもらいたいので」と掲出の目的を説明した。

 今季から加入した米国出身右腕のシュリッターは、今回の遠征で初めて沖縄を訪れたという。過去の戦争を踏まえた上で、「もちろん歴史は理解しているし、大切なこと。忘れてはいけない。その上で、自分はプロ野球選手として、1試合1試合集中してプレーしなければいけない」とうなずいた。

 那覇市の旭ケ丘公園で「戦没新聞人の碑」に出会った。恥ずかしながら、この碑の存在は、今回の遠征で初めて知った。木々の間にひっそりと立つ石碑には「一九四五年春から初夏にかけて沖縄は戦火につつまれた。砲煙弾雨の下で新聞人たちは二カ月にわたり新聞の発行を続けた。これは新聞史上例のないことである。その任務を果たして戦死した十四人の霊はここに眠っている。」と、命を落とした14人の名とともに刻まれている。

 過去を学ぶきっかけは、いろいろあるだろう。周りから教えられるケースも多い。歴史の受け止め方は個人個人、異なるかもしれない。ただ、今の自分たちは、先人たちが築いてきた世界の上で生きている。このことは、決して忘れてはいけないと思っている。【西武担当=佐竹実】

沖縄・旭が丘公園に立つ「戦没新聞人の碑」
沖縄・旭が丘公園に立つ「戦没新聞人の碑」