残念ながら大雨で中止となった5日の試合は、日本ハムにとって年に1度の函館開催だった。試合前のセレモニーでは、奥尻町在住の親子が登場する予定だった。あの、大災害の記憶を風化させないために-。

 25年前の93年7月12日、北海道南西沖地震が発生した。函館が位置する道南地区にある離島、奥尻島を中心とした地域が被災した。北海道や青森で200人を超える死者が出た。同島では震度6を記録。激しい揺れの後に大津波が島を襲った。火災も島内に広がった。島全体が、壊滅的な被害を受けた。

 あれから四半世紀が経過した。1つの節目を迎え、球団関係者は「節目だから、意味があると思う」と、同島唯一の少年野球チーム「奥尻スカイバード」で監督を務める工藤学さん(41)とコンタクトを取った。工藤さんは25年前、奥尻高野球部に在籍。2年夏に襲った震災後、新チームの主将に就任した。翌年の夏の大会では3勝を挙げ、島民に元気、希望を与えた。野球が復興への力の1つとなることを証明した。

 今では父となり、長男千汰君(12)は監督として率いるチームの主将だ。親子の間で25年前の話もする。工藤さんは言う。「子どもたちは地震を体験していない。伝えていくことは大事」。現在の奥尻島は「町並みは復興したけど、人口減少に歯止めがかからずです」という。

 球団は、そんな復興の過程を試合前のセレモニーで紹介し、大震災で得た教訓を風化させないきっかけを作ろうとした。心温まる企画を阻んだ大雨は、道内の他地域で被害をもたらした。でも、北海道には日本ハムがある。野球を通じて、きっと被災者に寄り添う。【木下大輔】