桜が咲き誇るころ、栃木に村田を訪ねた。最愛の家族と離れ、3LDKで初の1人暮らし。さぞや参っているだろう。予想は裏切られた。外食は控えて米を炊き、スーパーの総菜をおかずに「みそ汁は作らない。汁ものはビール」と豪快に笑う。苦労はユーモアで覆い隠す。村田らしかった。

 3月の入団前に英会話塾に体験入学。「ずっと独学で勉強していたけど、習ったらどうなるのかなと。先生は『同姓同名? でも似てるな』と思ったらしい」。その後、プライベートレッスンを申し込んだ。

 週1日は「MURATA」として学んだ。「間違っても関係ない。大きな声で話す。『挑戦する能力が高い。すぐ話せるようになる』と言ってくれた。家ではホームワークしたり予習したり。メシ以外は勉強。あとはゲーム。『龍が如く』で人をぶっ飛ばす。『こんにゃろ』と(笑い)。時間をいかにてめえのために使うか。(NPBに)呼ばれたら困るんです。駅前の留学にお金を払っちゃってるから、50回分も(笑い)」。

 NPB復帰はいばらの道と理解していた。いらぬ気を使わせぬよう、自虐的なジョークで何度も笑わせた。よく知る気遣いの男のまま懸命に今を生きていた。

 巨人を自由契約になっても「野球人生に悔いはあるけど後悔はない」と言った。栃木訪問の別れ際も「やってきたことが間違いとは今も思ってない。この状況でも応援してくれる人がいる。ありがたい。このまま辞めても胸を張って『僕はプロ野球選手でした』と言える」と、すがすがしかった。男として信じた道を堂々と行った。【11、12、15~17年巨人担当=浜本卓也】