ドーム球場の関係者通路をさっそうと帰って行く根本監督に「失礼します!」とあいさつして送り出した。2、3分すると、戻ってきて「おっ」と言って手を挙げて先ほどとは逆方向に通り過ぎて行った。今でも思い出すと、ほおが緩んでしまう。根本さんは、さらに引き返してきて、照れたように耳元に口を寄せてきてボソリと言った。「おい、どこから出たらいいんや?」。日本初の開閉式の福岡ドーム(現ペイペイドーム)が誕生して初のチーム練習日だったか。監督が出口が分からず「迷子」になったのだった。もうあれから30年の月日が流れた。もちろん、今はチーム関係者に迷子になるものはいないが、こわもての根本監督が、何度も通路を行ったり来たりしている姿は思い出しても何ともほほ笑ましい。

「中内(いさお)さんが、こんなばかげたもん造るからなあ」。チーム再建を託された66歳の監督はニヤリと笑ってひそかに改革に着手した。福岡ドームが開場した93年は45勝80敗(5分け)。首位西武に28ゲーム差をつけられるダントツの最下位。チーム内外に「根本で大丈夫か?」という声も聞こえてきたが、中内いさおオーナーの信頼は厚かった。ドーム球場のメインエントランス脇の御影石には筆記体で「For the Customers 1993.3.31 I.Nakauchi」の文字が刻まれている。「金は出すが、口は出さん!」と言って中内いさおオーナーは改革を後押しした。振り返れば、ドーム誕生が常勝ホークスへ向けた変革の1年だった。「チームを変えるには人を変えないと」。根本さんは、1年目のシーズンを終えると、大ナタを振るった。大型トレードで秋山らを獲得。さらに翌年には工藤、石毛もFAで獲得。弱く低迷していた南海から引きずってきた「負け犬体質」を払拭(ふっしょく)。王監督にバトンを渡した。世界一のドーム球場に合う、最強チームの編成。王さんの招聘(しょうへい)は新生ホークスへ向けた最大のチャレンジでもあった。99年の福岡移転後初Vを契機にホークスは強くなった。親会社がソフトバンクに代わってさらに常勝チームへと成長。今季は3年ぶりのリーグV&日本一奪回がかかる。

さて、藤本ホークスはどんな熱いドラマを見せてくれるのだろうか。いよいよドーム開場31回目の開幕プレーボールだ。【佐竹英治】