日本ハム白村明弘外野手(29)の表情は、晴れやかだった。「野手という経験もさせてもらって、普通の人はなかなか出来ないことをさせてもらった。球団には感謝というか、本当にありがたく感じています。本当にやりきったなというか、なにも悔いなく終われている」。迷いなく引退を決めた。

16年8月、オリックス戦で力投する日本ハム白村
16年8月、オリックス戦で力投する日本ハム白村

13年ドラフト6位で投手として入団。思い出の場面に挙げたのは1年目、クライマックスシリーズのオリックス戦(京セラドーム大阪)だった。同点の8回から登板も、先頭打者に二塁打を浴びるなど、対した打者は2人だけ。「出来れば抑えたかったですけど…。そこで(継投した)宮西さんに救ってもらった。僕も人を救える投手になりたいなと思ったのを覚えています」。苦い経験だったが、一番印象的なシーンだ。

15年には自己最多の50試合に登板したが、翌年以降は持ち味の150キロを超える速球は鳴りをひそめ、伸び悩んだ。19年の春季キャンプ中盤、球団からの打診で外野手へと転向し、再出発した。

日本ハム白村の年度別成績
日本ハム白村の年度別成績

その中で支えになったのは“メンタルコーチ”とも呼べる先輩中田の存在だった。「僕が腐りそうな時も『こういうふうに考えなあかんぞ』みたいなことも、よく指導してもらった。15年に50試合投げた時も、翔さんが近くで指導してくれていなかったらメンタル的にもっていなかった。本当に翔さんの存在が大きかった」。投手時代から師弟関係にある中田はオフの自主トレをともにするなど、慕ってきた。11月5日に戦力外通告を受けた後には「頑張ったな」とねぎらいの言葉をかけてもらった。

19年3月、イースタン教育リーグのロッテ戦で、左越えに二塁打を放つ日本ハム白村
19年3月、イースタン教育リーグのロッテ戦で、左越えに二塁打を放つ日本ハム白村

今後は未定だが、将来的に野球に携わっていける仕事がしたいという。11日に29歳を迎えたばかり。「これから新しいスタート。野球をやらないで迎える誕生日は初めてですが、いろんな可能性があると思うし、自分自身を裏切らないように頑張っていきたい」。その目はしっかり次のステージを向いている。【山崎純一】

20年日本ハム退団選手
20年日本ハム退団選手