いつ行っても、おなかいっぱいにしてくれる。楽天生命パーク宮城(宮城球場)の前の通りに面した「桃山食堂」。創業は球場と同じ1950年(昭25)。楽天ファンのみならず、球団職員、オフには練習帰りの選手やコーチも足を運ぶ。県産米がうまい。店内にはラーメン類や定食のメニューとともに、来店した選手のサインや写真が並ぶ。3代目、後藤隆史さん(59)の妻輝枝さん(58)は「年を取ってからだから、昔よりは早く感じた10年だったかなあ」と振り返った。

桃山食堂3代目の後藤隆史さん(左)、母みち子さん(中央)、妻輝枝さん(撮影・古川真弥)
桃山食堂3代目の後藤隆史さん(左)、母みち子さん(中央)、妻輝枝さん(撮影・古川真弥)

あの日、昼のピークが過ぎ、客はまばらだった。突然の揺れ。急いでガスを止めた。食器が割れ、テレビは倒れた。家族、従業員にケガはなかったが、ガスの復旧が遅れ、休業を余儀なくされた。買い物もままならず、仕入れていた食材でしのいだ。自宅が壊れた友人家族3人を受け入れた。

助け合いは返ってくる。付き合いがある八百屋や肉屋が食材を回してくれ、1カ月あまりで営業を再開できた。徐々に日常が戻った。だが、戻らなかったこともある。「なじみのお客さんたちが、またすぐ来てくれて。だけど、亡くなった方もいました。しばらくして、他のお客さんに聞いて。どうにもしてあげられない。寂しいものがありました」。震災を機に、客の顔ぶれが変わった。亡くなったわけではなくても「生活が大変になって、来られなくなったのかも知れません」。来客を待つ商売。会えなくなった人たちの身の上を想像するしかなかった。

変わらないこともある。「この前も青山さんが来てくれたんですよ」と輝枝さんはうれしそうに話した。アカデミーのコーチになっても通ってくれる。「鉄平さんが一番来てくれるかな」とほほえんで、牧田コーチと一緒の写真を指さした。まだ若々しい選手時代の2人の写真も貼ってある。

店名の由来は、隆史さんの祖父母、耕さん、かついさん夫妻が戦後、京都を旅した際、「桃山」という名のご飯屋が繁盛していたことにあやかった。楽天が日本一になった13年は、由来通り、試合前に腹ごしらえするファンでにぎわった。逆に、コロナ禍の昨年は客足が遠のいた。「最初は無観客だったから。野球がないと商売も厳しいですね」。田中将の復帰に期待する。「うんと盛り上がってくれればいいなあ。お客さんもいっぱい来てくれれば。ずっと『マー君』って呼んでたけど、立派になって帰ってきた。『田中選手』って言わなくちゃいけないかしら」と声を弾ませた。

70年以上、杜(もり)の都を、宮城球場を見守ってきた。これからの10年、どうありたいですか? 輝枝さんは「相変わらずといったらおかしいけど、普通に、健康で、楽しく。毎日同じことをして。変わらずにやっていければいいんでしょうね」と優しく答えた。いつ行っても、おなかいっぱいにしてくれる。それが、いい。【古川真弥】

<桃山食堂・輝枝さんの10年>

◆11年3月11日 営業中に地震発生

◆同年4月 営業再開

◆同年10月 次男弘樹さん結婚

◆13年 楽天日本一で繁盛

◆16年 初孫誕生

◆17年 結婚30周年

◆18年 2人目の孫誕生

◆20年 創業70周年もコロナ禍で客足遠のく

◆21年 田中将の楽天復帰で客足復活に期待


(この項おわり)