4月に完全試合を達成したロッテ佐々木朗希投手(20)が、岩手・大船渡高の最速163キロ右腕として国内外の注目を集め始めてから3年になる。希代の才能と交わった若者たちは今、何を思うか。それぞれを訪ねた。
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菅原謙伸さん(21)が明大野球部合宿所の応接室のドアをそっと開けた。
「お久しぶりです。先に着替えてきていいですか? 汗めっちゃすごくて」
相変わらず気が利く。花咲徳栄(埼玉)3年夏に甲子園で話題になった。明石商(兵庫)戦で中森(現ロッテ)の変化球が肩に当たるも「僕のよけ方が悪かったので」と死球を辞退し、球審やバッテリー、相手ベンチに謝罪。直後の球を本塁打にし“フェアプレー弾”として意図せず、米国でもたたえられた。
今日、めっちゃ暑いです-。着替えてきて笑った彼もまた、佐々木朗希と縁がある。もう10年前の話。
「朗希君は少年野球の開会式で初めて会って。隣だったんですよね」
小5秋の新人戦岩手県大会、二戸市での開会式。トーナメントで隣同士だから、隣り合って並んだ。
「開会式が始まる前のざわざわした時間にいじって、ちょっかいかけたりして。耳大きくて、色白で、眉毛太くて。その時からスラッとはしてましたね」
丁寧な物腰の今から想像できないグイグイっぷり。当時を笑う。
「その時の自分、調子乗ってたんで。世界の中心だと思ってました、自分が。末っ子だったので、甘やかされすぎましたね」
大会では大敗し、その後の練習試合で朗希少年に特大ホームランを打たれたのも懐かしい思い出だ。その後直接の接点こそないものの、高校時代の佐々木に記者が菅原さんの写真を見せたところ「菅原謙伸ですね」と瞬時に返事が来た。
千厩。せんまや、と読む故郷は岩手・一関の山あいにある。「6月に帰って。涼しかったですね。風が気持ちよくて。こっちの日の光は痛いんですけど、あっちは優しい感じで」。落ち着ける場所。菅原さんも幼少期、震災でひと山越えた陸前高田に暮らす親戚を多く亡くしている。10代を多感に生きてきた。
自慢の強肩でプロ野球選手を志す。将来の夢には「幸せな家庭」も挙げる。
「それぞれの家族にそれぞれの幸せがありますよね。自分は今、任せっきりな幸せだなと思って。流れるままに幸せになってるんです、今は。もっとちゃんと、こういうものを築きたいと具体的に作りたいです。引っ込み思案と(高校監督の)岩井先生にもよく言われていたので。それをなくしたいですね」
そんな謙虚な青年がかつて、朗希少年にグイグイ攻めていたのが面白い。
「いや、そう考えるとすごいっすよね。ほんと、何だったんですかね、あの時の自分って。でもそうやっていろいろな人にいろいろなこと聞きに行ったり、必要かもしれないですね」
もし再会できたら。
「打って倒したいですね。まだ大学で本塁打0ですけど。それと…小学校でいじられた時、どう思ったのか聞いてみたいですね」
いたずらっ子の顔に戻っていた。【金子真仁】
(つづく)