そぼ降る雨の中、ファンキー・モンキー・ベイビーズの名曲「あとひとつ」の大合唱がKスタ宮城に響き渡っていた。2013年(平25)11月3日。楽天-巨人の日本シリーズ第7戦。ブルペンから背番号「18」が姿を現すと、歓声はうねりとなり、涙交じりの歌声へと変わった。

3-0と楽天リードで迎えた9回。星野仙一監督は、1年間のフィナーレの舞台に田中を送り出した。前日の第6戦で先発、9回4失点で440日ぶりに敗戦投手となっていた。投球数は160。常識では考えられない連投だった。

淡々と投球練習を繰り返した。1球ごとに大歓声が湧く中、無失点で切り抜けて胴上げ投手になった。テレビ中継の実況は「雨の仙台で東北がひとつになり、田中将大が伝説になりました」と伝えた。結果的に、日本で最後となったマウンド。それでも終始、冷静だった。

「第6戦は『これが最後かな』という意識はありましたね。第7戦よりも6戦目の方が…最後という気持ちがありました」

前日はリードを許しながらも続投を志願していた。9回2死から、高橋由伸(前巨人監督)を152キロの直球で空振り三振に抑えた。入団以来、温かく見守って育ててくれた東北、仙台のファンへ-。感謝の思いを込めて、全力で腕を振った1球だった。

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ただ全力で腕を振る。それが本分であると分かっていた。2011年3月11日。東北に本拠地を置くチームのエースという立場で経験した東日本大震災が、大きな転機になっていた。

オープン戦のため、兵庫・明石に遠征中だった楽天は、地震から1カ月以上、地元へ戻れない日々を過ごした。一体、何が出来るのか。突き詰めて考えると、スポーツ選手や著名人が発信するメッセージに疑問を持つようになった。

「支援といっても、口だけになったり、形式的になってしまうのが嫌でした。実際、被災地に行ってみると、簡単に口に出していけないと思いました。『勇気を与えたい』とか『元気にしたい』とか…そういうものは、相手が感じてくれるというか、感じてもらえたらいいものだと思います。『勇気を与える』なんて、何様なんだ、という気持ちはありましたし、今もそう思っています」

ファンが涙ながらに喜ぶ姿を見られるとすれば、それは選手冥利(みょうり)に尽きる。ただ、日本一を達成しても「何様」という強烈な違和感は変わらない。自分を俯瞰(ふかん)して見つめて、出した結論が全力投球だった。

東北は、田中将大という人間を成熟させた。今年9月、北海道で地震が発生した際、当事者たちを思い、こんな声を上げた。「何か自分にできればとは思うけど、状況を見極めながら、タイミングを見ながらやらないと逆に迷惑が掛かってしまう」。

里田まい夫人の故郷であり、自身が高校時代を過ごした北海道。土台を築いた北の大地との縁は、04年までさかのぼる。(つづく)【四竈衛】

11年3月、東日本大震災チャリティー募金活動で、神戸市営地下鉄の三宮駅で募金活動をする田中将大。左は永井怜、右は戸村健次
11年3月、東日本大震災チャリティー募金活動で、神戸市営地下鉄の三宮駅で募金活動をする田中将大。左は永井怜、右は戸村健次