柏陽との準々決勝の前夜、愛甲は監督の渡辺元に呼ばれた。1978年(昭53)7月25日のことだった。

 愛甲 監督に「明日は先発だから」と言われた。公式戦での先発は初めて。えっオレが投げていいのと思ったよ。

 当初から渡辺は、愛甲を軸に考えていた。ただ、急にエース扱いせず、愛甲をリリーフで慣れさせながら、上級生が納得する時間をつくった。

 渡辺 愛甲の中学時代は知らなかったが、入ってきた時から「これは!」と思っていた。球も速かったが、カーブ…縦のカーブが抜群だった。彼がいれば5季連続で(甲子園に)行けると思っていたぐらいだ。

 初先発で、愛甲は期待以上の結果を残した。柏陽を相手に9回を投げて1本の安打も許さなかった。14奪三振、四球は2個。公式戦の初先発、初めて上がる横浜スタジアムのマウンドでノーヒットノーランを達成した。

 桐蔭学園との準決勝も先発した。延長10回の熱戦を愛甲-田代晃久の継投で乗り切った。そして横浜商(Y校)との決勝は完投勝利を収めた。横浜高にとっては15年ぶり2度目となる夏の甲子園出場だった。

 翌7月31日付の日刊スポーツは「あっぱれ1年生エース愛甲」と大きな見出しで報じている。記事中には「横浜版バンビ君」と書かれている。この前年、東邦の坂本佳一が1年生エースとして甲子園に出場し、愛くるしい風ぼうから「バンビ」の愛称で人気者になった。同じ1年生エースとして、愛甲は以後も「ニューバンビ」「バンビ2世」などと呼ばれた。

 笑顔で両手をかかげている写真が掲載されている。ただ、原稿では冷めた面が描かれている。「歓喜の横浜ナインの中で、愛甲だけは試合後も冷静だった。『うれしいです』と、チラリ白い歯こそ出したが、あとはピッチング同様。涙を見せるわけでもなく、派手なポーズを取るわけでもなかった」。

 ちなみに同日紙面には「15歳 愛甲君の横顔」というサイド記事が載っている。恋人の存在を問われた愛甲は「1人います」。横浜市内の某高校1年と明かし「デートする時間はありません。電話ばかり」と答えている。趣味については「演歌を合宿所で歌う。都はるみのファン。心がこもっている歌が多いから」と書かれている。

 準々決勝からの3試合で、愛甲の存在感は大きく変わった。テレビや新聞が派手に取り上げ、女性ファンに声援されるようになった。無名の中学生だった愛甲は、わずか4カ月でヒーロー、人気者になっていた。明らかに愛甲の人生は変わった。

 愛甲 この時はまだ自分では分からないんだよね。合宿所にいるからテレビも雑誌も目にしない。自分がどういう扱いになったかまったく知らない。甲子園に行ってからかな。少し分かるのは。

 8月3日、横浜高は大阪へ移動した。愛甲は新幹線の中で眠ってばかりだった。体調不良を心配した渡辺が声をかけると「昨晩、吉田さん(博之=3年)からお化けの話を聞かされ、怖くて眠れなかったんです」と答えたという。

 まだグラウンド外では初々しい1年生が、エースとして甲子園に乗り込んだ。(敬称略=つづく)

【飯島智則】

(2017年5月13日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)