甲子園の開会式。愛甲は隣に並んだ早実の川又米利に気付いた。川又はすでに3年生で、左の強打者として有名だった。高校の先輩になぞらえ「王2世」とも呼ばれていた。のちに2人は、プロ野球の中日でチームメートになる。

 愛甲 目が合って「おはようございます」とあいさつしたら、川又さんから「お前、逗子リトルらしいな」と話しかけられた。ボクは出てないけど、先輩たちと対戦していたから。それで「甲子園の開会式、すごく緊張しますね」と言ったら「オレもう4回目だから緊張しないよ」だって。中日では2人とも代打専門だった頃があって、一緒に準備をしながら、この時の話をしたなあ。

 初戦の2回戦は、徳島商に10-2で完勝した。愛甲は完投した。同じく1年生ながら「1番二塁」でスタメン出場した安西健二は左翼へ本塁打も放った。

 県岐阜商との3回戦に臨む前夜。愛甲は竹園旅館で先輩と話し合った記憶がある。捕手で3年生の吉田博之、番場常彦、安西が同部屋だった。

 愛甲 オレが「とにかく5点取ってください。何とか3点で抑えます」と言った覚えがある。4人で「絶対に勝とう」と話した。

 1年生エースとして活躍し、怖く厳しい先輩たちにも認められていた。甲子園、そして勝利という目標が、愛甲をチームに溶け込ませていた。

 愛甲 夏の大会に入ると3年生も雰囲気が変わって、むしろ「頼むぞ」とオレや安西をもり立ててくれた。でも、この時の3年生には今でも頭が上がらないなあ。この前もキャプテンだった三ツ木さん(哲夫)に会ったけど、普通にはしゃべれない。うちの高校は死ぬまで縦ラインが崩れない。

 県岐阜商には0-3で敗れた。愛甲は約束通りに3失点でしのいだが、強打の横浜打線が1安打に抑えられた。1回先頭の安西が中前打を放っただけだった。完投した愛甲も三島隆(3年)に本塁打を浴びた。

 愛甲 背番号15の選手だった。オレが公式戦で打たれた最初で最後のホームラン。ショックだったな。やっぱり甲子園ってすごいなと思った。

 敗戦にも愛甲は泣かなかった。試合後のインタビューでは「3年生ならともかく、ボクにはこれから4度も甲子園のチャンスがある。今、泣いていられません」とコメントした。

 愛甲は先を見据えていた。開会式で会話した川又と同じように何度も甲子園に来る。そういう目標を立てていた。1年生エース。周囲も、彼には明るい未来が待っていると思っていただろう。

 だが、違った。甲子園から戻った愛甲は、ほどなく体の異変を感じた。最初は左肩だった。かばって投げているうちに肘がおかしくなった。そして腰にまで痛みが走るようになった。

 愛甲 当時は「痛い」なんて言えない。かばって変な投げ方をして余計におかしくなったんだろう。肩、肘だけでなく腰もひどかった。平らなところを歩いていて転んだこともあった。

 栄光から少しずつ転落していった。愛甲を待っていたのは、栄光どころか地獄のような日々だった。(敬称略=つづく)

【飯島智則】

(2017年5月14日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)