愛甲は野球部を離れ、ブラブラする毎日を過ごした。そんな時、不良仲間と遊んでいて補導され、逗子警察署に連行された。

 仲間は引き取りにきた保護者と帰っていき、愛甲だけが残された。彼は母子家庭で、母には仕事があった。代わりに監督の渡辺元が引き取りにきた。

 渡辺 警察の方が「将来のある子だから」と、学校ではなく私に連絡をくれたんです。昼間は地元の新聞記者が詰めているから、夜になったら署に来てほしいと。そういう配慮をしてくれた。だから真っ暗になってから迎えに行きましたよ。署に行って署長さんと話をしました。

 愛甲 独りでポツンと残されていたら、警察官に「迎えがきたぞ」と言われてね。パッと顔を上げたら監督がいた。バツが悪かったよ。

 この時の愛甲の表情を、渡辺は今でも覚えている。

 渡辺 悲しそうな、わびしそうな顔をしていてね。その顔を見て、私は「この子を育てていきたい」と思った。私も似たような境遇の時がありましたから。

 渡辺は神奈川大時代に肩を壊して野球を断念した。大学もやめ、自暴自棄になって道を誤りかけた時期もあった。愛甲が自分の姿と重なった。「立ち直らせたい」。それは野球部の監督としてではなく、教育者としての決意だった。渡辺は、愛甲の自宅へ通った。

 愛甲 監督がウチにきてくれた時、母親に「あんたから野球を取ったら何が残るんだ」と言われた。確かにそうなんだけど、素直に「戻る」と言えなかった。

 すでに野球部を引退していた3年生も自宅まで来た。キャプテンだった三ツ木哲夫、バッテリーを組んだ吉田博之から「お前が野球をやらないでどうするんだ」と激励された。

 暴走族の集会にも出た。旧知の先輩たちに歓迎してもらえると思ったが、逆に怒られた。「ここはお前がくるところじゃない」と追い返された。

 愛甲 バリバリの不良なんだけどね。みんな野球が好きで甲子園に憧れていた。テレビドラマみたいだけど「お前はオレたちの夢なんだぞ」と言ってくれた。ハッとしたね。監督、母親、三ツ木さん、吉田さん…みんなが励ましてくれた。だれも「やめちまえ」とは言わなかった。それに気付いて「戻ろう」と思えた。

 愛甲は野球部に戻った。「もう1度やり直します」と誓うと、渡辺は温かく迎えてくれた。

 渡辺 何度自宅へ行っても、なかなか「戻る」と言わなかった。ひょっとしたら無理かなとも思ったけど、何とか育ててやりたかった。新入生が入る前だったか、「やりたい」と言って戻ってきた。

 愛甲 自分だけでは戻れなかった。みんなの言葉が大きかった。時間はかかったけど、オレにとっては欠かせない経験だった。高い崖から落ちて、そこからはい上がっていく経験ができたわけだから。順風にいってたら、3年で日本一もなかったし、プロ野球でもできなかった。

 復帰後は同級生の安西健二の存在が大きかった。ともに1年からレギュラーで、甲子園でも活躍した安西は、内臓を壊した上に上級生との関係が悪化して野球を離れていた。彼も同じ頃に戻ってきた。両親に状況を知られ、渡辺と話し合う機会が設けられた。その日のうちに合宿所へ戻った。

 安西 当時は監督の脅しに負けて戻った感じだったけど、実は野球がやりたかった。サボっててもバットは振っていたしね。愛甲も同じでしょう。あいつは女手ひとつで育ててくれた母親への思いが強かった。「野球でお母さんを楽にするんだ」という目標だけは忘れていなかったと思うよ。

 愛甲と安西は、復帰した直後から渡辺の自宅に住むことになった。しばらく先輩と離れて生活させるという、渡辺の配慮だった。渡辺家で迎える初めての夜。紀子(みちこ)夫人の手料理を食べた2人は、近所の銭湯に行った。どちらともなく「頭を丸めて一から出直そう」と決めた。銭湯の売店でT字カミソリを買った。(敬称略=つづく)

【飯島智則】

(2017年5月16日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)