サヨナラ負けでグラブをたたきつけた愛甲は、監督の渡辺元に叱られた。この時、渡辺の言葉遣いが愛甲の胸に響いた。

 愛甲 監督には「お前は、そういう態度をしてはいけない」と言われた。この「お前は…」のところが「お前だけは…」という感じでね。他の選手に言うわけじゃない。オレにだから言うんだって思った。

 投打の要で主将でもある。愛甲がどんな表情、どんな態度をするかでチームのムードは大きく変わる。それを自覚しろ。愛甲は、そういうメッセージだと理解した。反省すると同時に1つの決断をした。

 愛甲 何があってもマウンドで表情を変えないと決めた。それまでは思い切り喜怒哀楽を出していたけど、そこからはポーカーフェースを貫いた。夏の甲子園では無表情なことに「高校生らしくない」と批判もされたけどね。自分にはプラスだったと思う。

 大黒柱がチームへの影響を考え始めた。それは愛甲のワンマンチームからの脱却でもあった。日本一への足がかりだった。

 東海大相模戦のサヨナラ負けから1週間後。春季関東大会が始まった。1回戦の甲府西戦で、愛甲は1安打完封を演じた。初回からいきなり8連続奪三振。8回までパーフェクト。9回先頭に初安打されるも、自己最多の19三振を奪った。

 愛甲 高校時代のベストピッチだと思う。この頃は監督によく「打たせて取れ。後ろに仲間が守っているんだから」と言われていた。オレも肩や肘を痛めていたし、球数を減らしたかった。3年になってからスローカーブを覚えたりね。おかげでピッチングを覚えたというか、力任せの投球ではなくなった。

 2回戦の上尾戦は9-0の完勝だった。愛甲は7回参考ながら3四球12奪三振のノーヒットノーラン。満塁アーチも放った。準決勝の日大三戦は、控え投手の川戸浩が1-0で完封勝利を収めた。同じ日に行われた東海大相模との決勝も、川戸が7回を2失点で抑え、愛甲は最後の2回を無失点で締めた。愛甲は大会を通じて18回を投げ2安打無失点33奪三振だった。

 愛甲 関東大会に優勝して「オレたち行けるんじゃないか」というムードになった。2年と3年のコミュニケーションもよくなりチームらしくなったかな。

 川戸の快投も見逃せない。愛甲と同じ左腕で、控え投手に甘んじていた。だが、誰よりも練習熱心な男だった。フリー打撃、実戦練習と1日に300球でも400球でも投げるような投手だった。

 ずっと愛甲の陰に隠れていた川戸だが、少しずつ存在感が大きくなった。

 渡辺 愛甲もキャプテンを経験して変わった。私はいつしか愛甲、川戸を「2人のエース」と呼ぶようになった。お互いを刺激にして頑張るようになった。

 川戸は今、神奈川の湘南学院高でコーチを務めている。選手の練習を見つめながら、当時を振り返った。

 川戸 名古屋遠征だったかな。帰りの新幹線で監督に呼ばれて「お前は、もう1人のエースだからな。がんばれ」と声をかけてもらいました。怖くて近寄れなかった当時の監督から声をかけてもらって励みになりましたよ。本来ならエースが1人で投げる時代ですからね。

 迎えた夏の神奈川大会。初戦となる舞岡との2回戦は、その川戸が先発した。6回2死までパーフェクト、7回まで無安打。8回先頭に安打を許したが、8回を1安打無失点に抑えた。愛甲は最終回を無失点に抑えたが、試合後の渡辺は報道陣の取材に、川戸についてコメントしている。

 「今の出来なら、安定感で愛甲より上ですよ」

 全国制覇へ向けて、いよいよ役者がそろった。(敬称略=つづく)

【飯島智則】

(2017年5月19日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)