背番号「11」をつけた1年生エース、荒木は投げ続けた。1回戦の北陽(大阪)戦の完封から無失点投球を続けると、準決勝の瀬田工(滋賀)戦は、再び7安打完封の快投で、55年ぶり2度目の決勝進出を決めた。これで3試合連続完封。44回1/3連続無失点で、39年の嶋清一(海草中)、48年の福嶋一雄(小倉)が樹立した大会記録の45回にあと2死まで迫った。

 1回戦の北陽戦で幕を開けた“大ちゃんフィーバー”は、クライマックスを迎えようとしていた。

 「無心だったことと、あとはマスコミの人が取り上げてくれたことで、相手がすごく意識してくれた。1年生相手にね、高校生ぐらいなら、余計。このやろうみたいな感じで力む。そしたらちょうどいい感じで(シュートする直球が)沈んで。力みで、ゴロになった。騒ぎが騒ぎを呼んで、大きくなればなるほど、そういう力は出てきたと思う」

 甲子園から宿舎に戻るバスは、正面玄関前で待つファンを避けるように、右翼スタンド側から出るようになった。阪神甲子園駅近くの宿舎に集まる女性ファンの熱気も、日増しに高まっていた。試合以外の時間は、宿舎にこもって過ごす日々。エースとはいえ1年生だった荒木。他の学校だったら、雑用も多かったはずだったが、早実は違った。大会期間中は、ベンチ外の上級生が、宿舎に泊まり込み、ユニホームの洗濯などの雑用をこなしてくれた。

 「早実は今もそうだけど、上下関係でうるさいことはなかった。上級生が大人だよ。変な足を引っ張ることは、昔からない。宿舎で手伝いや雑用するのが先輩なんてあり得ないじゃん。でも、オレはお前らに連れてきてもらっているから、お前らはいいって言うんだよ。(早実)清宮が1年生から活躍できたのも、早実ならではだから」

 決勝の相手は、元中日の愛甲猛を擁する「東の横綱」、横浜(神奈川)だった。

 試合前から、注目は荒木の連続無失点記録に集まった。報道陣から嶋の名前を聞かれ「『はい』って答えたけど、1年生が嶋さんのこと知ってるわけがない。インタビューが終わって、同級生に知ってるかって聞いて、知らねえ、みたいな。そんな感じだった」。

 16歳の青年に、戦前の大投手の知識を求めるのも酷な話。45回連続無失点の記録は、存在すら知らなかった。それでも質問を受け続けるうちに「意識はしてなかったけど、頭には残っていた」。

 決勝は、独特の緊張感に包まれた。準決勝から連投のマウンド。「調子はいいとは思えなかった。ボールはちゃんと投げられている感じはなかった。もしかしたら疲れだったのかもしれない。それは今だったら感じているけど、あの当時は感じないよ。いつも連投できているから、立ち上がり重いなみたいな感じ」。

 その立ち上がりにつかまった。1回に打線が1点を先制したが、その裏、1死から愛甲らに3連打を浴び、同点にされた。なお2死一、三塁。投球モーションに入ろうとした時に、腕が腰に当たって落球。ボークで勝ち越しを許した。

 連続無失点は44回1/3で途切れ、3回5失点で降板。4-6で敗れた。「抑えられるイメージはなかった。今までの相手とは違う。強いなって感じ。決勝戦って、今まで通りいかないんだなと思った」。

 決勝戦は4万7000人が詰め掛け、大会の総観客数は、当時の最多記録を更新する81万6000人になった。

 準優勝に終わったが、大会の主役の1人は間違いなく荒木だった。すべての重圧から解き放たれた試合後。アルプス席の応援団にあいさつを終えると、1年生エースの目から、はじめて涙がこぼれ落ちた。(敬称略=つづく)【前田祐輔】

(2017年7月16日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)