それは信じ難いホームランだった。1979年(昭54)第51回のセンバツ。3月29日。香川は1回戦の愛知戦で、甲子園1号本塁打を記録した。バックスクリーン左に超特大の1発。外角低めのボール球を、香川は右膝を地面に着きながら捉えたのだった。

 戦前から愛知県内は、愛知、中京商(現中京大中京)、東邦商(現東邦)、享栄商(現享栄)の私学4強、それに名古屋電気(現愛工大名電)が加わって「5強」といわれた。秋の県大会で優勝した愛知監督の鹿島田正勝は、本格派の安井邦明の不調を察し、右の下手投げの森敏哉(現在は豊田信用金庫岡崎支店長)をマウンドに送った。森は香川に打たれた瞬間を鮮明に覚えていた。

 森 あんなに太った高校球児は見たことありませんでした。とにかく体がでかいので、本当にこんな体で打てるのかな? と思いました。うちは「どんどん走っていくぞ!」という作戦を立てた。でも、2度盗塁を試みたが、2度ともアウトです。香川が打席に入ったときの歓声はものすごかったです。

 衝撃の本塁打が飛び出したのは8回だった。1、2球目が直球、3、4球目がカーブ。カウントは2-2。捕手の浜田泰三が外角に構えた、その5球目だった。

 森 あっ、外れた! と思った。実際、後でビデオを見るとボールでした。四球は監督に叱られるから3ボールにはしたくなかった。ボール2個ぐらい低いが、そこにひょいっとバットが出てきたんです。

 本塁打かどうか分からない当たりなら、打球の行方を確認するはずだ。だが、森は振り向かなかった。

 森 すぐに完璧なホームランだと分かったからです。

 外角低め、ボール球の直球に、香川は折れた右膝を地面に着き、フルスイング。打球は低い弾道のままバックスクリーン左に突き刺さった。強烈な印象を残して、浪商が6-1で1回戦を突破した。

 森 試合後のお立ち台では記者から「一瞬、中堅手が前に出ましたよね?」という質問が多かった。センターライナーが伸びて、そのままスタンドに入ったという記事を書きたかったからでしょうね。私が一番間近で見てるんですから、(それも)大げさではなかったんです。打たれた瞬間に「参りました」という当たりです。今思えば無名の打者に打たれるより良かった。もう2度と甲子園に来られないと思ったので土を持って帰りました。

 浪商マネジャーだった乙宗(おとむね)誠(現在は日本リトルシニア中学硬式野球協会 関西連盟 東淀川リトルシニア・マネジャー)は、その光景を三塁側スタンドで見ていた。

 乙宗 プロ顔負け、まるでピンポン球のようでした。リストが強くて、柔らかい。「中西太2世」といわれました。

 浪商はこの衝撃的で、伝説になった1発とともに勝ち上がっていく。(敬称略=つづく)

【寺尾博和】

(2017年7月29日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)