9回に連打で1点差に追い上げた直後、1死三塁のチャンスで報徳学園・大角健二監督(38)はスクイズのサインを出すか迷っていた。カウント1-1からの3球目。「スライダーがボールになると思って、2ボール1ストライクになればと。後手に回ってしまいました」。3球目はファウルで追い込まれ、二ゴロでチャンスを逸した。1点届かず、80年生まれの「松坂世代」の指揮官は、初めての夏の甲子園を8強で終えた。

 甲子園春夏18度出場した前監督の永田裕治氏(54=U18日本代表監督)から、昨春バトンを引き継いだ。03年からコーチ、13年から部長を務め「伝統を途絶えさせてはいけないというプレッシャーはありました」と、8年ぶりの出場で周囲の期待に応えてきた。

 松坂が春夏連覇した98年、怪物の甲子園デビュー戦になったセンバツ初戦が報徳学園戦だった。クジを引いたのは当時主将の大角監督。先に1番クジを引き、後に横浜が入ってきた。「次の日の新聞に、僕が下を向いて、横にいたPL学園の平石君(現楽天監督代行)が指さして喜んでいる写真が出てました」と懐かしむ。仲間からは横浜だけは避けろと言われていた。抽選会場で顔を合わせた永田氏は「すぐに正座せいって言いました」と笑った。

 怪物との対戦は強烈だった。「6番捕手」で先発した大角監督は「忘れもしない」という第1打席、140キロ台の直球と130キロ台のスライダーをファウルにした。「当てることができたので食らいつけると思ったら、決め球のストレートは150キロぐらい。こんなスピード差見たことがなかった。ど真ん中でも手が出なかったと思います」。圧倒的な勝負球で見逃し三振に倒れると、4打数無安打で2-6と敗れた。

 センバツ後には、宮崎の招待試合でホテルが一緒になり、大角監督の部屋で松坂、小山(元中日)と2時間以上話し込んだことがある。今でも特別な存在として活躍を見続けている。

 「同い年で、今もずっと野球を続けているのは本当に尊敬します。あのまま終わっていたら、持って生まれた才能だけといわれるかもしれないけど、どん底からはい上がるのは才能だけではできない。野球に対する姿勢や、あきらめない精神的な強さ。高校野球界に携わっている人間として、生徒たちにもいい影響を与えてくれてます」

 あきらめない姿勢は今夏の報徳学園のテーマだった。昨秋は県大会3回戦、今春は初戦で敗れたが、粘り強く戦い、結果を出してきた。今夏の出場校では、横浜とのセンバツ決勝で安打を放った関大一(現関大第一)出身の奈良大付・中本真教部長(38)、敦賀気比(福井)東哲平監督(38)も「松坂世代」の一員だ。

 準決勝進出を逃した大角監督は「楽しかったけど苦しかったです。こういう競った試合で勝たせられなかった。この経験を次につなげないと、3年生に申し訳ない」と受け止めた。語り継がれる夏から20年。特別な1年を駆け抜けた選手たちは、それぞれの思いを胸にグラウンドに立ち続けている。【前田祐輔】