聖地とは人と人との出会いがつくるもの。第100回の夏の決勝戦を終えた21日、横浜(神奈川)渡辺元智(73)、PL学園(大阪)中村順司(72=名古屋商大総監督)両元監督が、次の200回への思いを語った。勝敗を超えた出会いの喜びが高校野球の歴史をつないできたと名将2人は声を合わせ、100回大会の王者となった大阪桐蔭に拍手を送った。【取材・構成=堀まどか、和田美保】(敬称略)

 100回の夏は、史上初の夏になった。ともに甲子園春夏連覇を経験した監督2人が、大阪桐蔭2度目の偉業達成を見届けた。

 渡辺 どちらが勝っても100回大会にふさわしいチーム。金足農の吉田君は旋風を起こしました。そして勝った大阪桐蔭はすごいチーム。春夏連覇を声に出し、見事に実現させた西谷君はすごい監督です。

 中村 まさに大阪桐蔭の底力を見る思いがしました。走攻守も夏に臨む気持ちも、すべてにスキがない。これぞ、100回大会の優勝校ですよ。

 記念大会が幕を開けた8月5日の開会式。テレビ解説の放送席で、渡辺は息をのんだ。

 渡辺 ああ、良かった。今回だけは来て良かった。最後、56校がぐーっと迫ってきた大行進。選手宣誓。いつもと変わらぬ風景が、私の頭の中で一変しました。選手たちが登場したゲートの100という文字を見たとき、涙が出てきた。中村さんを倒したいと頑張ってきたこととかいろんなことが、走馬灯のように頭を巡った。特別な日でした。

 中村 僕は高校3年間とコーチ、監督を22年間やって、四半世紀、高校野球に携わった。100年の中の4分の1を体験させてもらった。100という数字にそういうことを思い起こさせてもらいました。

 夏の高校野球を100年守った力は何だったのか。

 渡辺 自分が携わってきてからの甲子園というのは、大阪が全盛なんです。僕は甲子園は聖地と思っている。僕がそんなことを言うのはおかしいですが、そこに大阪のチームが君臨しなきゃ意味がない。みんながこの山に、聖地に登りたいとやってくる。これが高校野球をここまで盛り上げた要素と言っていい。

 神奈川の高校野球を代表する名将は、聖地に君臨する大阪に挑み続けた。

 渡辺 PL学園が一時代を築いた。その後、大阪桐蔭が台頭。だから全国のチームが打倒PL、打倒大阪桐蔭を目指した。中村さんのような素晴らしい指導者に近づきたいという思いの積み重ねが、100回大会につながったと思う。

 中村 僕は近大付の豊田(義夫)先生や興国の村井(保雄)先生らを目標にしてきて、それが大阪のレベルにつながっていったのかなと思います。渡辺監督の言葉を聞いて、大阪の監督としてすごくうれしく思います。今の大阪桐蔭もみんなの目標になっている。

 渡辺 甲子園に出ればいい、優勝すればいいというだけじゃなくてね。甲子園に行けば、中村さんに会える。(大阪桐蔭の)西谷さんに会える。そういうものがあるから甲子園はすごい価値がある。聖地の中に目指すものがあるから、甲子園が素晴らしいものとなり、みんなが大事にして、歴史が積み重なっていく。

 歴史的な変化があった。今年の春夏甲子園でタイブレークが導入され、夏は2試合が実施された。

 渡辺 2、3年たてばタイブレークが浸透し、素晴らしい試合になるかもしれません。でも今の段階では僕はなんとなく寂しい。野球には流れがあるから。それに、土壇場の頑張りとかそういうものが薄れてきている。本当のたくましい子どもを我慢できる子どもにしつけるには、ある程度厳しい試練に立ち向かっていくことは大事だと思う。

 2回戦・星稜(石川)-済美(愛媛)は、済美が史上初の逆転サヨナラ満塁弾で勝つ劇的な試合に。一方で、98年の準々決勝・PL学園戦で延長17回を完投した松坂が翌日の準決勝・明徳義塾(高知)戦で劣勢の9回から救援し、状況を一変させてサヨナラ勝ち。決勝・京都成章戦で無安打無得点試合を達成したようなドラマは、もう見られなくなる可能性もある。

 98年センバツ準決勝。中村がPL学園の指揮を執った最後の試合は、渡辺率いる横浜との熱戦だった(3-2で横浜勝利)。

 中村 最後の相手が渡辺さんで、いい試合をさせてもらったと思うし、その選手たちとアジアAAA野球選手権の監督をさせてもらって、松坂大輔君を中心に優勝したんですね。最後に高校野球に恩返しできました。今度は100年の高校野球がこれからの200年に続いていくように、何かお役に立ちたいなと思っていますね。

 日本高野連は高校野球200年構想のスタート事業として、7月29日に小学校低学年対象の野球教室「甲子園キッズフェスタ」を開催する予定だった。台風で中止になったが、野球離れが進むといわれる世代に野球の面白さを伝える事業が始まっている。

 渡辺 野球経験者がみんなで一生懸命伝えていけば、さらにすごい200回大会になると思うんです。

 中村 渡辺先生とまた、違うところで野球を教えましょう。

 渡辺 すごいことですよね、きっと。

 ◆渡辺元智(わたなべ・もとのり)1944年(昭19)11月3日、神奈川県生まれ。横浜(神奈川)では3番中堅手。3年夏は県4強。神奈川大から65年に母校コーチを務め68年に監督就任。98年には中日松坂らを擁し、甲子園春夏連覇、国体も制し史上初の3冠を達成。甲子園は春夏計27度出場し5度優勝、歴代4位タイの51勝を挙げた。15年夏の神奈川大会を最後に勇退した。

 ◆中村順司(なかむら・じゅんじ)1946年(昭21)8月5日、福岡・中間市生まれ。PL学園から名古屋商大を経て社会人のキャタピラー三菱(当時)に進み、76年からPL学園のコーチ。80年に監督に就任した。81、82年にセンバツ連覇。83年夏、85年の夏と甲子園で優勝し、87年は春夏連覇。98年センバツ4強を最後に勇退し、同年に名古屋商大監督に就任。元パイレーツ桑田、元オリックス清原、阪神福留ら多くの名選手を育てた。