“佐伯天皇”と称された日本高野連副会長(のちに会長)の佐伯達夫(享年87)は、55年9月16日に「佐伯通達」と呼ばれる注意書を加盟全校に送った。同年夏にハワイ遠征した日本選抜のメンバーに対してプロ球団は激しい争奪戦を繰り広げていた。スカウトが選手に闇ドルを渡す札束攻勢や、親を含めて個別に食事をして入団を勧誘するなど歓待を繰り返した。

プロとの関係に注意をうながす「佐伯通達」は、以下のような内容だった。

「私共がやっている高校野球は、決してプロ野球を養成するのが目的ではありません。野球を通じて将来日本のために役立つ立派な人間を作る以外、なにもないのであります。目先の誘惑に惑わされ、プロ選手となるものが続出すれば私共が骨身を惜しまず高校野球のために努力している意義はまったくないのであります。(中略)もうそろそろ一千万や二千万の金を目先に据えつけられてもビクともしない立派な選手が三人や五人出てきてもよいのではないかと思います(後略)」(佐伯達夫自伝=ベースボール・マガジン社)

「佐伯通達」は、各球団のスカウト活動の自粛には一定の効果があった。翌56年3月には、日本高野連の評議員会で高校生のプロ入りに関して、以下のような規定を設けた。

(1)プロ野球のテストを受ける選手は一応退部のうえ、受験すること。また受験後は高校野球選手としての資格を失う。

(2)プロ野球の練習に参加したものは、アマチュア野球資格を失うので野球部を退部しないといけない。

(3)プロ野球と正式な契約を結んだものは、直ちにプロとみなし、高校野球選手の資格を失う。

(4)正式契約でなくても書類により本人または親権者がプロ球団に入団の約束をした時は、約束と同時に高校野球選手の資格を失う。

(5)たとえ口約束であっても、金品を伴った時はプロ選手とみなし、高校野球選手としての資格を失う。

(6)選手は名目の何たるかを問わず、プロ球団または、その関係者より直接間接に一切の金品を受け取ってはならない。

プロ球団と交渉する前には退部届(現プロ野球志望届)が必要、金品授受の禁止…。現在にも通じる部分が多々ある規定だが、長く守られることはなかった。

「佐伯通達」から6年後の61年。甲子園の大会中にプロ入りを表明する「門岡事件」が起きた。

初出場した高田(大分)のエース門岡信行投手は、初戦で敗れた甲子園からの帰途の途中、別府港で中日への入団を表明した。プロ球団との交渉は退部後と定めたにもかかわらず、甲子園からの帰り道での発表となれば、事前に交渉していたことは明白。大会前にはオリオンズから500万円を受け取っていたともいわれる。佐伯は怒り狂った。

「春にはオリオンズから500万円をもらっているという。今度は中日のスカウトが野球部長兼監督を取り込み、キャバレーあたりに連れて行き、つけは自分の方へ回してくれといったという。門岡の両親はオリオンズから金をもらって内諾していた。しかしそれを発表されると、門岡が第43回選手権大会(61年)に出られなくなると思い、誰にも言わずに押さえていた。(中日に)断りきれなくなって実情を打ち明けると、それを逆手にとって『それなら、ばらすぞ』となった。中日のスカウトは高田が負けるとすぐハンをもらって、コミッショナーのところにかけ込んだ。あの頃は書類を先に出した方が勝ちだった。オリオンズもハンをもらっていたが中日に先をこされた」(同)

甲子園後、高田には1年間の対外試合禁止処分が科された。門岡個人の問題だったはずが、チーム全体を罰する連帯責任になった。これが国会まで巻き込んだ大騒動に発展する。(敬称略=つづく)

【前田祐輔】

(2018年4月22日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)