2009年(平21)8月24日、夏の甲子園大会終了直後に大阪市内で女子プロ野球リーグ創設が発表された。スーパーバイザーに就任したのは、57歳になった太田だった。甲子園のプリンスは、プリンセスの夢を助ける立場になった。

太田 彼女らの野球を見ていたら、野球の原点を思い出す。小学校のときから野球が好きで、もう必死にやってた。あの頃の思いがオーバーラップします。

剛腕の京都・小西美加、ヤクルト川端の妹で名内野手の川端友紀らが集結し、10年春に京都、兵庫の2球団でスタート。今は埼玉、東北にも球団を置く。女子プロ野球の発展を支えてきた太田には、女子のアマ選手にかける思いもある。

太田 ぼくらの壮大な計画は女子野球を甲子園で開催すること。せめて決勝だけでも男子の決勝の前にやりたいなと。彼女たちにとっても甲子園は別物です。男子の野球人口が減る中、女子プロ野球は8年目を迎え、女子の野球人口は増えてる。女子のプロ野球も甲子園で見たい。

かつて外野の頭を越すのがやっとだった長打力も身につけてきた。リーグ本塁打数は2桁に届くようになった。来年加入する侍JAPAN女子代表の21歳、笹沼菜奈(平成国際大)は、太田が女子プロ野球初の球速130キロ超えを期待する剛腕だ。130キロ台を投げ、10本くらい本塁打を量産する。そんな女子選手を、懐かしい聖地に送り出したいと思っている。

私生活では2男1女に恵まれた。長男、次男は野球に打ち込み、長女玲奈はタカラジェンヌになった。現在、宝塚歌劇団月組娘役、妃純凜(ひすみ・りん)の名前で9月1日から東京宝塚劇場の舞台に立つ。

太田 長男は甲子園では放れんかったけど、福知山成美(京都)史上初の投手で主将になれた。名プレーヤーじゃないけど、いい野球人だったと思う。娘も中学卒業時にまず受けて、4度目の受験でようやく受かった。落ちるたびに「またチャレンジさせてください」って、あの根性だけは太田家のやなと。力よりもあきらめずにチャレンジする。これは俺の血を引いてるなと勝手に思ってます。

太田家は区切りの数字に縁がある。太田の初甲子園が68年夏の第50回大会。長女は宝塚音楽学校の100期生で、宝塚100年の2014年に歌劇団に入った。「だから次男に、太田家の締めくくりで来年の100回大会に甲子園に出ろよとハッパかけてます」と太田は笑う。

甲子園出場時の定宿があった兵庫・宝塚が一家の住まい。青森・三沢には、今も菊池弘義ら球友たちが太田の帰りを待っている。

太田 甲子園なくしては自分の人生はないと思う。50歳過ぎたくらいからかな。甲子園の自分のイメージを素直に受け入れて、感謝の気持ちで付き合って行こうと思うようになりました。

人気の副産物だった好奇の目にも、人気先行とたたかれた理不尽への怒りにも折り合いをつけられるようになった。そして44歳の晩婚で、一時はあきらめかけた宝を太田はもうすぐ授かる。長男幸樹が一家の主になった。プリンスはこの冬、祖父になる。(敬称略=おわり)

【堀まどか】

(2017年8月28日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)