高校野球に限ったことではないが、団体スポーツにおける「チームワーク」の重要性は、いまさら説明する必要もないだろう。ただ、そのチームワークをどう構築していくかとなると、簡単なことではない。特に、高校野球は3年間という限られた期間、血気盛んな野球少年たちの集団だ。「みんな手をつないで仲良くしよう」とはいかない。

掛布が2年生だった1972年(昭47)の夏、習志野は甲子園出場を果たした。強豪校がひしめく千葉、さらに東関東大会を勝ち抜いての聖地だった。だが掛布にとっても、当時の習志野野球部にとっても、忘れられない「事件」が、チームワークを作り上げることになった。

甲子園に出場する1年前の夏。掛布が1年生の時、3年生が予選に敗れ、新チームがスタートした。すぐに始まった秋の県大会。新チームは7-2とリードしていた試合で、9回2死から逆転負け。しかも、走者なし、ボールカウント2ナッシングまで追い込んで…、というオマケつきだった。

試合後のミーティングで、監督の麻生和夫が怒ったのも当然だった。

「もう2年生はいらん!」

「じゃ、失礼します」

監督の言葉に、1年先輩の2年生がグラウンドに背を向けて、さっさと帰っていってしまった。20人ぐらいいた1年生だけの習志野野球部がスタートした。だが、1カ月後、辞めたはずの2年生が戻ってきた。監督にわびを入れ、1年生よりは少なかったが、10人強の先輩が戻ってきたのである。

おもしろくないのは、1年生だった。「出戻り」の2年生から部室に集められた。また小言が始まり、説教が始まった。

その時だった。不穏な空気を察したのか、だれかが「とにかく1度、お互いにスッキリしようぜ」と叫んだ。その瞬間、2年生と1年生が入り乱れての殴り合いが始まった。

掛布は「時代が違うとはいえ、暴力を肯定する意味ではない」と前置きしたうえで、こう振り返る。

掛布 たたかれる理由もないのに殴られるのは理不尽だし、決してあってはならないこと。でも、あの時の殴り合いは、一方的に殴られるのではなく、1年生のボクらも自分たちの思いを先輩にぶつけた。どれぐらいの時間だったか忘れたけど、本当にお互いがスッキリした感じだった。今でも先輩と会うと、甲子園に出たことより、あの時の事件の方が話題になる。痛かったけど、いい思い出です。

翌年の夏、2年生が3年生になり、1年生だった掛布らが2年生レギュラーとして、習志野は甲子園の切符をつかんだ。褒められたことではないが、習志野野球部の歴史に残る「事件」が、激戦区を勝ち抜くチームワークへとつながったのだ。

掛布 痛みを通じて知ることは多い。最近の子どもたちが遊ぶテレビゲームで戦っても、痛みは分からない。何度も言うが、暴力を肯定するものじゃないけど、ボクらの年代にとっては、社会に出るために必要な通過点だったような気がする。

最近は千葉に帰る機会も少なくなった。でも、今も1年上の先輩たちに会うのを楽しみにしている。(敬称略=つづく)

【井坂善行】

(2017年9月8日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)