早実は成績に厳しく、毎年のように留年者が出る。甲子園でスターになった斎藤でも特別扱いはされなかった。

斎藤 甲子園が終わった後に留年とか言われたらイヤじゃないですか。卒業できませんってシャレになりませんよね。

切実な悩みを解消してくれたのが、同級生の豊吉伸樹だった。学年トップの成績を取ったこともある豊吉は、試験範囲のポイントを問題形式にまとめたプリントを作成し、友人に配っていた。豊吉のプリント…通称「トヨプリ」と呼ばれていた。もともとはノートを貸してくれた友人にお礼で渡したものだったが、瞬く間に同級生の評判になった。斎藤もトヨプリの世話になった。

斎藤 彼は優しい子で、みんなのために見やすいように作ってくれる。赤色シートで解答が隠れるようになっていたりして、すごく覚えやすかった。助けられました。(卒業は)ホント彼のおかげですよ。

豊吉は現在、大手銀行に勤めている。卒業後、斎藤とは会っていない。

豊吉 僕のことは忘れられているんじゃないかと思っていました。そんなに感謝されていたなんて、うれしいですね。

早実を卒業した斎藤は、早大に進んだ。大学時代も栄光で輝いていた。1年春の6大学リーグ戦で開幕投手を務め勝ち投手になるなど、4勝を挙げて優勝に貢献。全日本大学選手権でも優勝して、1年生では史上初のMVPに選出された。4年秋に主将として優勝するなど、計4度のリーグ優勝を経験した。通算31勝を挙げる活躍だった。

だが、プロでは苦しんでいる。1年目に6勝、2年目に5勝を挙げたが、以後の5年間では計4勝。右肩の故障などもあって不本意なシーズンが続く。

栄光の時代が光り輝いていた分だけ、現在の影が濃く見えてしまう。「斎藤は終わった」という声があることも知っている。ファンから「あのときは応援していました」と、過去形で声をかけられることもある。

斎藤 「応援していました」って今は? と思ったりね。まだ現役の選手なんだけど…。

今の斎藤は、「ハンカチ王子」と呼ばれた時代を、どうとらえているのだろうか。社会現象になるほど騒がれた時代を…。それを問うと、斎藤は笑った。

斎藤 今では、ハンカチ王子という別の人間がいるという感覚で思っています。

野球にも勉強にも全力で取り組んだ日々。打ち込まれて絶望を味わったり、赤点を取って補習を受けたり…。高校時代の思い出は、今でも斎藤を支えている。

斎藤 目標がぶれないことが大事だと思います。僕もすごくへこんだり、力の差を見せつけられることはたくさんあったけど、「甲子園に出たい」「優勝したい」っていうのは、ずっと持ち続けた。周りには甲子園優勝なんて絶対に無理だって言われていた。でもやってる本人たちがどれだけ本気でそこを目指せるかだと思う。今の自分にも、それを言い聞かせてやっています。

信念に従い、突き進む。諦めないことの強さは、高校3年間で教わった宝物。29歳になった斎藤佑樹は、今年の夏もまた、懸命に汗を流している。(敬称略=おわり)【本間翼】

(2017年9月19日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)