広瀬が大竹の野球部に入ったのは、1年の夏。広島大会が始まる直前だった。

広瀬 練習したのは1週間くらいやったと思う。といっても、本当に練習したのはそのうちの2、3日。打撃練習なんか1年にはさせてくれなかった。硬球を打ったこともないのに、いきなり公式戦や。

初戦(2回戦)の相手は観音(現広島商)だった。広瀬が野球部に入るきっかけになった、中学時代に一緒にプレーしたことのある選手が投げた。広瀬はベンチ入りし、記録では2-5で敗れている。

広瀬 (観音には、別の投手で)エースがいたんやが、うちは投げる必要のないチームということやな(笑い)。そりゃこてんぱんにやられたよ。それでも代打で起用されて、ヒットを打った。硬球は打ったことはないけど、中学の軟式と同じ感覚で打った。他の選手は苦戦していたけど、中学時代から知っている相手だし、自分の方が上だと思っていたからびびることもない。それでみんなも、アイツやるな、という感じになった。

広瀬はプロでも初打席で初安打、初スタメン出場時は4打数4安打を記録している。同学年で、3年時にはセンターを守っていた小田源三は、中学時代から広瀬を知っていた。

小田 やたらと足の速い選手がおって、大野中のショートはすごいヤツだ、と言われていた。投手としても、ボールが速かった。とにかく運動神経はずばぬけていて、他の選手とケタが違いました。体育の時間にバスケットボールをやったんですが、(身長176センチの広瀬が)リングに手が届くくらいのジャンプをするんです。あれには驚きましたね。

だが、大竹はいわゆる弱小チームだった。部員も12~13人程度しかおらず、いつもギリギリ試合ができるくらい。普段は練習も行わなかった。大会などで試合が近づくと、その1週間ほど前にゾロゾロと集まって練習するような状態だった。部長らも大会前にちょっと顔を出す程度で、指導者はいないに等しかった。

広瀬 普段は学校が終わったら、終わりだった。試合と修学旅行の日程がかぶったことがあったけど「そりゃ修学旅行じゃろ」と、迷うことなく学校行事を選んだくらいだった。そりゃうまくならんよね。でも、練習は一生懸命やったんやで。

広瀬と同学年でともにプレー、卒業後は日本通運を経て母校の野球部監督を6年間務め、現在は大竹高野球部OB会長の清永恵三はこう述懐する。

清永 そりゃ打つ、投げる、走るくらいはやりましたよ。まあでも、バットなどの道具は個人持ちだし、練習っていう練習はしていませんでしたね。

清永は高校に隣接する大竹中の出身。指導者がいないため、自分たちで練習メニューを考えるしかない。広瀬は隣の中学野球部の練習を見て、いいと思うものを取り入れていたという。高校生が中学生のやり方をまねる。そんなのんびりした雰囲気の中、2年の夏を迎える。(敬称略=つづく)【高垣誠】

(2017年11月18日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)