広瀬の高校野球は、3年の夏、広島大会で初戦負けを喫して終わった。

広瀬 地元の新聞に「広瀬にもう1度投げさせてやりたかった」というようなことを書いてもらったことは覚えているよ。ただ、高校時代は県大会以外で他に試合した記憶がない。廿日市高と練習試合したことくらいかな、覚えてるのは。

夏の大会が終わると、広瀬は陸上部の教師に「陸上をやってみんか? 北海道に行けるぞ」と誘われた。その年の秋の国体が北海道開催だったからだ。その誘い文句につられて、広瀬は陸上に挑戦した。中学時代に陸上部監督がほれ込んだ才能は、野球以外でも輝いた。

広瀬 走り幅跳び、砲丸投げに円盤投げ…なんでもやった。やったことないから投げ方なんて分からない。練習も数日しかしていない。ぶっつけでやった。野球は自信なかったけど、陸上は自信があったんや。

広瀬の記憶では、50メートル5秒5の俊足だったが、短距離より中・長距離の方が自信があったという。ほとんど練習もせずに県大会に出場して、走り幅跳びで6メートル50を跳んだという。

広瀬 県で2位か3位だったかな。ちょっとの差で負けて国体には行けんかった。野球では表彰状なんかもらえなかったけど、陸上では何枚ももらった。先生から「広瀬、早大から誘いがあるぞ」って聞いて、野球で引きがあったんかと思ったら、陸上でやった。誰かが見ていて、大学関係者に薦めてくれたのかもしれん。

陸上でも身体能力の高さはピカイチだったが、結局、南海・鶴岡監督(当時)と知り合いの地元関係者の紹介で、南海のテストを受け入団する。

広瀬 3年のとき初戦で負けたけど、プロでもやれるんじゃないかと感じてはいた。

広瀬と同学年でチームメートだった清永恵三は言う。

清永 広瀬は足腰のバネが抜群で、高校の時にもっとしっかりした指導者に出会っていたら、まだすごい選手になっていたと思いますよ。

広瀬のもとには、2年の時に入団テストに受かった広島からもオファーがあり、ノンプロ東洋紡からも誘いがあったという。

広瀬 担任の先生に「南海に行け」と言われたんや。夏休みに大阪へ行った。こっちは南海に入れるものと思っていたので、まさか入団テストを受けるとは思ってなかった。大阪球場で練習していたら「お前、明日先発な」と言われた。近鉄2軍との試合やった。高校生に投げさすなんて、ムチャクチャやろ(笑い)。大阪球場はフェンスが高くて、捕球した音が大きく響く。それでアガってしまって、四球を連発したうえにホームランを打たれた。その後は立ち直って3回くらい投げたな。

その後、南海と契約しプロ野球選手としてスタート。プロ入り後も、門限を過ぎた寮に帰る際、2階にサッと上り、開いた窓から入って中から鍵を開けるのが広瀬の役割だったとか、中百舌鳥球場の3メートルくらいある外野フェンスにふわりと飛び乗った…など飛び抜けた身体能力を示す逸話には事欠かない。

子ども時代、高校時代の型破りな経験は、その後の「伝説」のプロローグだった。(敬称略=おわり)【高垣誠】

(2017年11月20日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)