「親分」と慕われた元南海監督、鶴岡一人の長男・鶴岡泰(現山本泰=72)は、1974年(昭49)4月にPL学園の野球部監督に就任した。7年間の監督生活を振り返り、PLにとって、初の甲子園全国制覇のピッチャーで4番だった西田真二のことは、「ヤンチャ坊主の印象が強烈に残っている」という。

山本泰 ある時、キャプテンの木戸がやってきて、ボクもう野球やめます。その代わり、西田を殴ってもいいですかって言うんです。それぐらい西田は個性的な選手でした。(78年夏の甲子園)決勝でサヨナラヒットを打った柳川という選手がいたのですが、彼は頭がいいし、ケンカも強く、責任感の強い男でした。彼に西田と木戸のことも言い含めて、チームのまとめ役をお願いした。個性の強い選手がそろっていたチームで、とりわけ西田の存在というのは目立ちました。

西田はアマ時代も、プロに入ってからも、目立つ存在だった。しかし、大胆で豪快なイメージがある一方、繊細な一面がある。

全寮制だったPLには、休部の遠因ともなった「付き人制度」がある。特定の上級生の身の回りの世話を、特定の下級生がする制度で、今も年1回行われるOB会総会では、そのことが話題になって盛り上がる。賛否両論あるが、名門・PLの伝統の制度だ。

西田 ボクって結構先輩にはズケズケと話すタイプなんです。でもね、この年齢になって感じることですが、先輩を含めいろいろな人にズケズケ話しますが、本音を話して、真剣にお付き合いしてきたことが、今は自分の人脈として大きな財産になっています。高校、大学、プロ…ユニホームを脱いでからも、解説の仕事をさせていただいたり、コーチもやらせてもらった。そして、今はこうして独立リーグの監督として野球をやらせてもらっている。ありがたいと感謝しているんです。

西田の繊細な一面は、今でも下級生の「元付き人」と連絡を取り合いながら、親しく付き合っていることだろう。「お世話した上級生は忘れましたが、お世話してくれた下級生は一生忘れません」と言う。

その一方で、山本は「相手の反応をうかがいながらすぐに対応する能力を持ち合わせている」と明かす。孤高のマウンドで相手打線と立ち向かう投手の仕事がら、ピタリとハマる性格だったのだろう。

西田はPLのエースとして独り立ちし、いよいよ「奇跡の夏」を迎える。(敬称略=つづく)【井坂善行】

(2017年11月25日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)