試合後、後輩を見守りながら、コーチの中谷仁はチームの最後尾を歩く。97年夏全国制覇の主将が昨年4月から常勤コーチで智弁和歌山に戻って来た。キャッチャーミットをつけて後輩を指導し、ライバルチームの情報収集、戦力分析に元プロの頭脳を駆使する。高嶋仁の頼もしい参謀になりつつある。

中谷は97年ドラフト1位で入った阪神から楽天、巨人を経験し、野村克也、星野仙一、原辰徳ら強烈な個性と巡り合った。そんな人生経験の持ち主は、恩師の高嶋をこう語る。

中谷 野球愛、愛情というか、見返りを一番求めていない人というか、純粋に野球が好き、甲子園が好き。それ以外のことには無頓着。高校生と一緒に泥まみれ、汗まみれになって、やり続けている。こうと決めたいちずさは誰よりも強い。それが高嶋先生です。

卒業から20年たった今も、色あせない高校時代の思い出がある。練習前のグラウンドはいつも、高嶋の手で鏡のように整備されていた。ほころびたネットも、破れた練習球も、高嶋が修理していた。3、4時間ぶっ通しでノックを打った練習後も、高嶋は欠かさずグラウンドを走っていた。

中谷 選手の僕らがもっとやらなあかん。そういう感覚は生まれましたね。

部員に、この人についていこうと思わせる強烈な求心力があった。96年夏の甲子園でのこと。智弁和歌山は甲子園初戦敗退を喫したのだが、高嶋は当時2年生だった中谷ら部員をマイクロバスに乗せ、松山商(愛媛)と熊本工の決勝戦に連れていった。サヨナラ負けから松山商を救い「奇跡のバックホーム」と語り継がれる右翼手の好返球を、中谷は目の当たりにした。そして、高嶋が語った言葉を中谷は忘れることができない。

「夏の決勝はああいう雰囲気や。来年の夏はあの雰囲気の中で試合するんやから、きょうの雰囲気だけ感じといたらええ。きょうは練習はなしや。終わり!」。それから1年後の97年8月21日。智弁和歌山は夏初めて全国の頂点に立った。甲子園から宿舎に戻り、大優勝旗を中心に記念撮影をしていたとき、だれかが「そういえば高嶋先生、昨年の夏に甲子園で『来年はこの中で優勝するから雰囲気を覚えとけよ』って言うてたよな」とつぶやいた。

中谷 それ聞いて、ぼくは鳥肌が立ちました。ああ、やっぱり、すごい監督の下でやってたんやって、信じてついてきてよかったって。あのときの達成感、満足感は今思い出しても鳥肌が立つくらいです。

指導者の信念に、18歳は驚愕(きょうがく)した。

中谷 子供を感動させられる指導者になりたい、と思えた出来事でした。怒られても怒られても、先生の甲子園愛、生徒への愛情を感じました。

智弁和歌山は新時代を迎えている。最強時代、高嶋の隣には、部員の生活態度を厳しく戒めた部長の林守がいた。「高校生としても一流に」と言い続けた元部長の姿を追い、06年の主将で現部長の古宮克人はグラウンド内外に厳しく目を配る。中谷は「年の離れたキャプテン」として後輩を導く。そして高嶋は今なお健在で、甲子園を目指し続ける。(敬称略=おわり)【堀まどか】

(2018年1月11日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)