我喜屋優という男は、3つの「顔」を持つ。野球部を率いる「監督」で、中学・高校の「校長」を兼務、全体をまとめる「理事長」の肩書がついている。つまり、指導者で、教育者で、学園をマネジメントする経営者でもある。

監督に就いた3年後の10年、甲子園で春夏連覇を果たした。主将が我如古(がねこ)盛次、エースはソフトバンク入りした島袋洋奨。第92回夏の甲子園、興南は準決勝で報徳学園(兵庫)に6-5で競り勝ち、決勝は東海大相模(神奈川)に13-1で圧勝。沖縄県勢悲願の夏初優勝だった。

まず、我喜屋が取り組んだのは生活指導を徹底すること。部屋は散らかり放題、ゴキブリが出るのも珍しいことではなかった。朝食をとらない寮生活。「うちなータイム(沖縄時間)」で遅刻しても「なんくるないさ~(なんとかなるさ)」で片付けられた風習を一変させた。

我喜屋 小手先の技術より、強い精神力をつくることのほうが大切で難しいんです。指導者は嫌われていい。生徒のためと思ったら徹底的に厳しく教える。起床、洗面、身支度、朝の散歩、体操、食事、整理整頓、清掃の生活指導を続けるうちに少しずつ変わった。小さい約束事を守れないものに限ってミスをする。どんなに技術があっても、ルールを守れないものは試合には出しません。

夏の甲子園を制した優勝インタビューで、主将の我如古は「今日の優勝は、沖縄県民のみなさんで勝ち取った優勝だと思っています。本当にありがとうございました」と切り出した。これも我喜屋の教えで「1分間スピーチ」を続けた成果だ。沖縄北部の久辺(くべ)中から進学した当初は「やるば~(頑張るぞの意味)」と俗にいう島言葉しか言えなかった。地元に感謝の気持ちを伝えたメッセージは、県民から喝采を浴びる。

我喜屋 あのときの我如古はもっと言わせろぐらいの口達者になってました(笑い)。地元では通用するし、間違いではない。でも前は正しい日本語で伝えるのが下手でした。今の子供は携帯電話をいじって、部屋に閉じこもってゲーム、冷たい弁当を食べていることが多い気がする。つまり五感を磨く場所がない。だから朝の散歩は大切。だらだら歩くのでなく、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚と五感を磨けば第六感につながっていく。すなわち正しい反応ができる。毎日散歩していると風景の変化にも気付くはずなんです。

半年前、10年センバツで優勝した翌日も我如古は見事な1分間スピーチをしていた。大阪市内の宿泊先近くの住之江公園で朝の散歩をした際だった。「この住之江公園の桜も満開です。まるで僕らの優勝を祝福してくれているようです」-。

我喜屋 散歩をしても花を見て美しいと感じないと文章にできない。そこで感じたことを新聞記者になったつもりで心のなかで文字を書き、アナウンサーになったつもりで話さないと相手に伝わらない。「頑張ろう」と口先だけでは伝わらない。「相手投手のクセは○○だから○○の対策をとろう」といえば全員が反応する。私は甲子園を目指すという言葉を使わない。「ゴミ拾いで日本一になろう」というんです。ゴミを捨てるのはミス、そのゴミを拾ってミスをカバーするのがチームワークです。

興南のグラウンドはもちろん、校舎内にはゴミが落ちていない。我喜屋は「もっともしつけにうるさい高校野球の監督」を自負する。その原点は沖縄南端、生まれ故郷の玉城(たまぐすく)村にあった。(敬称略=つづく)【寺尾博和】

(2018年2月2日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)