興南の我喜屋優の執務室には「魂 知 和」という立派な書が掲げられている。かつての理事長で、野球部を創設し、監督も務めた高良徳栄(たから・とくえい)の言葉で、我喜屋もこの精神を継承している。

我喜屋 何事にも信念をもって取り組む精神的強さ、「魂」をもつことが大切です。「知」は知己を広げる。チームワークとは仲良しを言うのではありません。仲間から信頼を得ることが「和」です。これを続けて読めば、私が指導する上で大切にしている「こんちは」というあいさつになります。「あい」は心を開いて相手に言葉を投げ掛ける、「さつ」は心を開いて受け入れることです。このコミュニケーションがカバリングにつながるのです。

また、興南野球部には6つの委員会が設置されている。「環境保全委員会」「風紀委員会」「学力向上委員会」「節約委員会」「記録・情報分析委員会」「チームワーク委員会」。部員全員が何らかの委員会に所属するのが決まりだ。

例えば、テスト期間が近づくと学力向上委員会のメンバーが主になって練習時間の短縮を提案して勉強会を開く。風紀委員会は集合時間などの順守を徹底、節約委員会はいかに寮の光熱費を圧縮するかを考えている。「人は役割と権限を与えることで成長する」という我喜屋の考えに基づいている。

我喜屋は監督就任の際に「監督が代わるとユニホームも変えてイメージチェンジを強調したがる。先人がいて今がある。歴史、伝統を守りたかった」と創部当時のデザインに戻した。

次々に教え子たちは羽ばたいた。10年夏の甲子園で4番真栄平(まえひら)大輝が不振に陥ると、周囲から打順変更を指摘されたが応じなかった。入学時から率先して、朝の散歩、ごみ拾い、グラウンド整備に取り組む姿を見てきたからだ。チームは春夏連覇、真栄平は全日本メンバーにも選ばれる。

主将の我如古(がねこ)盛次に続いた優勝インタビューで、エース島袋洋奨は「1回戦から暑い中、一生懸命な応援、みなさんありがとうございました!」とあいさつして県民を感動させた。すべて我喜屋イズムが浸透した成果だった。

我喜屋 美しい花を支えているのは、枝であり、幹です。甲子園が花なら、生活態度、練習は、見えないところに埋もれている根っこ。その根っこを育てれば必ず花は咲く。でも花の命は短い。だから、どんなにつらくても、悲しくても、また花を咲かせようと、努力をする。この繰り返しが人生の過程なんです。

現在は、部長の真栄田聡、副部長の砂川太、安里利光、コーチの池間忠彦らスタッフに、長女里(のり)がトレーニングのアドバイザー役で、妻万里(まり)が寮母として支えている。

18歳まで沖縄で育った我喜屋は、内地に渡って、北海道に異動となり、再び故郷に戻って、今もグラウンドに立つ。指導者で、経営者で、教育人で、その存在は大きい。

我喜屋 私もまた甲子園に行きたいし、子供たちを連れていかなければと思っています。ただ甲子園がゴールではない。世の中の荒波の越え方を教えるイメージゲームをやってるんですよ。野球は9回だけど、人生のスコアボードはずっと続くのです。(敬称略=おわり)【寺尾博和】

(2018年2月6日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)