ニックネームはずっと「鬼の阪口」だった。22歳で東邦監督に就任し猛練習を課し、徹底して鍛え上げた。すぐに選手が口々に言った。「あれは鬼やな」。当時は、野球界によくある隠語。選手間でだけ監督を意味する代名詞的に「鬼」と呼ばれていた。

それが周囲に知れ渡ってニックネームになり、阪口も知るところとなる。だが、本人の解釈は少し違う。発音も、意味合いも。節分に登場する赤や青の、あの恐ろしい鬼ではない。

発音は“オ”に強くアクセントを置く「オニ」。例えるなら、すしネタのウニとまったく同じ発音こそが、阪口のこだわりだ。

「鬼なのか“オニ”なのか。“オニ”だと思う。鬼じゃない。子どもたちに対する思いやり、優しさ、愛情は、絶対誰にも負けん。本当に子どもが好きということ。そこが“オニ”と鬼の違い」

喜怒哀楽の激しい激情家。選手を乗せるため、多少の演技も加わるが、基本的にはピュアな素のまま甲子園とも向き合ってきた。

昨夏までで、北野尚文(福井商=36回)、高嶋仁(智弁学園、智弁和歌山=36回)、馬淵史郎(明徳義塾=31回)と計4人しかいない出場30回超え監督。31回もの経験がある阪口だが、開会式の入場行進を見ながら今も、感極まる。

「初めて甲子園に行かせてもらった時から、気持ちは変わらんね。ベンチに入れば鳥肌が立つし、いつも、あの入場行進を見て涙が止まらん。甲子園はたまらんね」

この夏、100回目を迎える夏の甲子園。その半分ほどを聖地にあこがれ続け、執念を燃やして伴走、いや追走してきた。通算で1000人以上の生徒を送り出し、甲子園と高校野球を通じて教育してきた自負がある。

「僕は、人間を人に変えるのが仕事。人間は生まれながらにして誰でも人間なんです。思いやり、愛情、優しさ、信頼、尊敬、そういったものをすべて身に付けて初めて人になる。私の教え子は、全員これを備えた人にして卒業させる。教え子は、どんなに年を取っても素直で、おぼこい顔をしとる(笑い)。かわいい。そういうのを意識しとるんです」

この信念のもと、絶対に自分を「監督」とは呼ばない。「先生」と言い、そう呼ばせる。そして生徒、選手のことは「子どもたち」と一貫して言ってきた。これが流儀だ。

同世代の監督はほとんどいなくなった。2度の脊柱管狭窄(きょうさく)症の手術も受けた。70歳を超え、体が思うようにならないことも増えてきた。それでもグラウンドに立ち続ける。

16年の年の瀬。教え子が名古屋で就任50周年記念パーティーを開いた。モーニング姿で正装した阪口は、いまだ経験のない夏の甲子園優勝を、堂々と宣言した。春は89年に勝ったが、夏はまだ。今年で高校野球の監督として、52回目の夏の戦いを迎える。ここまで続けてきても、誰より、甲子園が大好きだ。

「甲子園よ、永久に有れ、だね。物心ついたころから特別な場所。永久にこのまま存在してほしい」

そうでなきゃ、監督である理由も、生きる理由もなくなる。阪口は半世紀以上、甲子園に魅了され続け、甲子園の魅力を体いっぱいで表現している。まだまだ、戦い続ける。(敬称略=おわり)【八反誠】

(2018年2月21日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)