10年夏、高崎健康福祉大高崎監督の青柳博文は野球観を180度変えた。群馬県大会の準決勝で前橋工に0-1で敗戦。三ツ間卓也(現中日)ら140キロ超えの投手が3人いても、甲子園を逃した。02年の創部時になかったグラウンドが07年に完成。選手、環境が整った中でもはね返され、後がなかった。

青柳 今、思えば選手の見極めも下手でしたし、能力にかけて、心中する野球でした。高校では4番でしたし、(野球を)単純に考えていたんだと思います。投手なら完投、打者はとにかく打つ、と。

高校通算25本塁打を放った青柳は、前橋商3年春のセンバツに、「4番一塁」で甲子園に出場した。元中日の和田一浩と同期だった東北福祉大では、リーグ戦で本塁打。肩の脱臼に苦しんだが、強打が持ち味だった。

青柳 単に打ち勝つ野球では、ずっと甲子園には行けないなと。「何かを変えなければ」と思った時、それが走塁でした。

当時、B(育成)チーム担当で走塁指導のスペシャリストの葛原に、走塁の指導を一任した。選手のレベルが高かったAチームは、青柳と部長の生方を中心に打撃と守備に多くの時間を割いた。その一方、Bは試合で勝つために走塁を重要視。選手の入れ替えも行われたが、AとBでは野球自体が違った。

夏の敗戦を機に、高校球史に残る“機動破壊”と呼ばれる走塁革命は始まった。字のごとく、盗塁や走塁などを意味する造語だが、青柳を含めたチームスタッフの思考をも破壊した。

青柳 高校野球でも常識や概念、セオリーが邪魔する時があるんです。それをなくせば、見えてくるものもあります。私の中では、機動破壊=セオリー破壊だと思っています。

“機動破壊”は、野球界のセオリーを利用する。この場面では「普通、走らない」「普通、バントする」のセオリーを逆手に取って、作戦を仕掛ける。

青柳 セオリーさえ守れば、文句を言われないだろうという風潮があります。それこそが、チャレンジするチャンスなんです。

「機動破壊=盗塁」をイメージするが、実は、この言葉の盗塁が占める領域は30%である。走塁を駆使した心理戦で重圧をかけ、相手をかく乱することも多くを占める。盗塁しなくても、相手が盗塁を過剰に意識すれば、“機動破壊”の狙いと合致する。

壁にぶち当たった敗戦から1年、前年よりも戦力的には小粒だったチームが、悲願の甲子園出場を成し遂げた。当時の群馬大会記録となる28盗塁をマーク。青柳は就任10年目での悲願達成に涙を流した。創部当時の10年前とは違って、太陽の下、晴れ晴れとした気持ちで涙を拭った。

センバツ初出場だった12年春は、初戦で強豪の天理(奈良)に9-3で快勝した。青柳が「(戦前の評価は)どう見ても天理の方が強いと。うちは、とにかく仕掛けて」と7盗塁を含む機動力で揺さぶり。勝負の明暗を分けたのは、青柳が掲げる“セオリー破壊”だった。

2-2で迎えた7回無死一塁、打者は8番の秋山浩佑だった。相手のバントシフトに対し、バスターを敢行。左中間寄りの安打だったが、一塁走者は迷わず三塁を蹴って、ホームを陥れた。当時の日刊スポーツの紙面によれば、中継に入った遊撃手は「走者が三塁で止まるかと…。頭が真っ白になった」とある。いわゆる“機動破壊”で歴史的1勝を奪った。

全国区のチームへと成長を遂げる中、青柳は今もなお、理想のチーム像を追い求める。思い描くのはあの世界的企業だった。(敬称略=つづく)【久保賢吾】

(2018年3月10日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)

2012年選抜高校野球、天理戦の7回表、健大高崎無死一塁、秋山の左中間への安打で一塁から一気に生還する小林
2012年選抜高校野球、天理戦の7回表、健大高崎無死一塁、秋山の左中間への安打で一塁から一気に生還する小林